立ち読み『風のはなし』3

 ボクネン本『風のはなし』〜「節気慈風を語る」〜から立ち読み風に少しずつ内容を紹介しています。今回は啓蟄(けいつち)」のページです。

  次(つぎ)に、「啓蟄」です。

 三月六日頃。旧暦では二月の始め。

 「啓蟄」は冬籠(ふゆごも)りをしていた虫達が、穴の外に這(はい)い出るという意味ですが、ここでは多くの虫が周年活動をしますので、一斉(いっせい)に出るという風にはなりません。そうですが、虫たちがうごめく感じはよくわかるものです。

 よく晴れた日に、納屋の戸板の裏に潜(ひそ)んでいたカメムシの集団塊(しゅうだんこん)が壊れてもぞもぞ動き出します。何だか気持ち悪くて、喉(のど)の奥がかゆい感じになって、思わず体が震えたりします。

 寒さも和らぎ、あれだけ華やかだった緋寒桜(ひかんざくら)もすっかり色褪(いろあ)せるのに、その縮んだ花びらの底に、すでにサクランボが膨(ふく)らみ始めています。ここの桜は、ソメイヨシノのように潔(いさぎよ)く散りません。実を守るようにしてしがみつきしつこいのですが、潔さだけが美しいものではないといわんばかりです。そうなるといよいよですよ。タンポポやノゲシの、そのぼんぼり綿毛をもみくちゃにして、一面の畑(はたけ)もふみ倒(たお)して「ニングヮチカジマーイ(二月の風廻り)」が暴走します。大雨を伴って、まるで出し抜けに吹いたりするのですが、これが台風なみの荒々しさなのです。漁師には恐れられて、この時季は油断ならないのですが、農家の人だってたいへんです。ちょうどサトウキビの収穫時なので、畑に出られずにこまります。もっとも、この風は長くは居らず数時間で何処ともなく走って行ってしまうので、用心があれば仲良くできるものなのです。

 これがしかし、決まった方向を持たないので、またやっかいではあるんですよ。「ニシカタ(北方)」かと思えば「クチカタ(東方)」に回り、「フェカタ(南方)」と構えれば「イリカタ(西方)」に移るという風に、思春期の人のように定まらない心持ちでいるから、こっちまで移って落ち着かないのです。さしずめ、荒々しい「北の男風」と、熱情の「南の女風」の間に、生まれるべくして生まれた「嫡子(ちゃくし)の風」ではないでしょうかね。

 この「ニングヮチカジマーイ」と「タイワンボージ」は、しかし、ずいぶんと似ていて見分けがつきにくいものではあります。

 内地においては、この時季に吹く最初の南風が、「春一番」と呼ばれます。「春疾風(はるはやて)」、「春荒(はるあれ)」、「春嵐(はるあらし)」などともいわれますが、やはり悩みをかかえて切なくしている青春の人ように感じますよね。 「恋風(こいかぜ)」は、恋する人の身に吹く風のことをいうのですが、青春の人にこの風が当たると、まさしくそうなりそうですね。いわれのない憂いに包まれては、遠くを思い立ち止まる。思いわずらっている内に、知らずに大人になってしまいます。青い春は短いのです。風の成長もいつの間にかですよね。

 春の木と書いて椿と読むのですが、まさに名の通りで、家々の庭にはここぞとばかりに咲き誇ります。野山では百合の蕾が膨(ふく)らんで、「ヤワタ(ムラサキカタバミ)」がキビ畑の露地に群れそろいます。

「恋風」は、恋する人の身に吹く風のことをいう>。こういう風の表現は初めて聞きました。“風”が体に吹くだけでなく“心”にも吹くというわけです。作者はここで人間は“心と体”でできているということを、最も大事な自然哲学として暗にほのめかしています。<當山>(『風のはなし』のお求めは、下記アカラギャラリーまで)

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