投稿日時:2016年05月06日(金) 13:57
ギャラリー散歩
沖縄戦が終わって70年が過ぎました。いま、日本国では「安保関連法」や「憲法改正」が盛んに議論されています。この「戦争」ということに対して考えたりすることは、いまだからこそ大事なことのようにおもいます。「戦争」とは、個人や家族を恐怖のうちに死に追込み、残酷で非情なものです。その戦争の“非道さ”を考えることが優先されるべきで、党派の争いや政治の材料にされては、たまったものではありません。そのことで、大事な議論が遠のいてしまうのは残念なことです。
ぼくたちは、いま「戦争」を直視することが望まれているのではないでしょうか。そこで、ぼくにとってボクネンの作品で、その死の深い悲しみを感じさせるのが上掲の『さきよだ』(1988年、30.4×45.0 cm)です。「さきよだ」とは一般的に岬のことを言いますが、石垣島の西部にも崎枝(さきよだ)という半島のある地域があり、ぼくなどはその石垣島の「さきよだ」をつい連想してしまいます。
それで、この作品が石垣島の「さきよだ」とイメージが重なることで、直接に“戦争”をテーマに描いているのではないかも知れませんが、ここには戦争で亡くなったひとも含めて海で亡くなったひと、マラリアで亡くなったひと、そして強制移住などで命を落としたひとたちの鎮魂の歌が聞こえてくるように感じられます。つまり、半島の琉球石灰岩の下に眠る多くの「精霊」たちが、この作品に刻まれているようにおもえます。彫刻刀の鋭くシンプルな線は、よりいっそう「精霊」たちの“悲しい気持”を表わしているようです。
ぼくにはこの絵を観るたびに、戦争や事故でなくなった多くのひとたちの“精霊の声”が聴こえるような気がしてなりません。