投稿日時:2016年04月25日(月) 14:57

ギャラリー散歩

白い蝶

 ボクネン版画には驚くばかりの数のタッチがある。ぼくはそのタッチを小説でいうところの「文体」だと、おもっているのだが、今日はその「絵の文体」の話をしたい。結局、絵を好きになるのは、その絵のタッチ(文体)なのではないだろうか。

 そういう意味でいうと、上掲の『白い蝶』(1996年、100×80 mm)は、20年前の初期の作品だが、いつみても心地良くなるタッチ(文体)なのである。このタッチ(文体)に興味を持ち始めたのはいつごろからだろうか。このタッチ(文体)を観ていると、なんだか“しあわせな気分”になるのである。

 さて、この気分はどういうもので、どこからきたのだろうか。とおもっていたら、作家がまだ版画を知らない16歳のときに描いた油絵『フッチャバル』を思い出した。この油絵はゴッホの田園風景をおもわせる作品で、これがこの上掲の作品『白い蝶』のタッチ(文体)とかなり似ていることに気づいた。

 油絵『クシメーバル』には、雲や農夫や草木たちが点々と登場していて、作品『白い蝶』で描かれているような“小さなもの”への慈しみの目くばりが感じられるのだ。この文体(タッチ)は、作家の「幼年期」のころの意識と、「大人」になって得た他者を取り込んだ意識とでつくりあげられたものだろう。