投稿日時:2013年11月30日(土) 17:33

おしゃべりQ館長 File 13

OQ表紙

 11月にはわがボクネン美術館にとって、外部展示場ではあるが貴重な展示会があった。生誕110年記念「棟方志功展」である。10月5日から11月17日まで、のべ44日間開催された。棟方志功といえば、ボクネンがその作品をみて衝撃を受け、版画家になる契機ともなった板画家(志功は版画ではなく、板画と言った)である。
 今回の版画展をみて、ボクネンへの影響をたくさんの方々が感じられたとおもうが、さて私たちはその「棟方志功」という作品、ひとなりをどうとらえるかというのも大事なわたしたちの仕事だという気がする。そのことがひいては、ボクネン版画をひもとくもうひとつの視点ということができよう。そういうことで、今回は「棟方志功」について少し考えてみたい。
 まず、わたしが会場をひとめぐりして感じたことは、志功は実に頭のいいひとだったということである。外見からすると無邪気なおじさんって感じで、頭のキレるというイメージとは少し違うが、それは私たちの大きな勘違いなのである。作品のきめ細かな彫りと全体のバランスは絶妙で作品の美しさを引き打たせるクリアーな表現は、シャープな頭の良さからしかあらわれない。
 志功は、会場で上映されていたドキュメンタリー映像のなかでゴッホの画集を手に取り、『パラソルをさした婦人とはね橋』(1888年)をみながら、「ゴッホはみんな荒々しくて迫力があるとおもっているけど、そうじゃないんだなぁ。ほら、こんなに静かでうつくしい絵を描いている」(おおまかにまとめた)なんて言う、ドキュメントのしーンがあるが、これは志功が深い洞察力のもとに絵画を分析していることがわかる。実にシャープな物言いだ。
 また、津軽のひとや地域を語るときも、「津軽のひとはみんなおとなしい人間たちとおもっているけれども、違うんだなぁ。みんなほんとにおもしろい人間たちなんだ」(おおまかにまとめた)というのも、人間や地域への分析を深く見据えている。
 この頭がいいという理由はまだまだあるが、ここで作品からかんがえてみよう。
 例にとれば『原 裾一文字の柵』(1964年)この作品などは、もはやゴッホを越えて、あのモダンアートの巨匠、マーク・ロスコー(1903〜1970年、単純な色彩図形でモチーフを”生と死”に求めた)を彷彿とさせる域にもたっしている。
 つまり、志功はモダンアートに対しても、徹底した頭脳の明晰さでもって考え抜いた作品を彫っていたのである。これは頭の悪いひとには到底できないことである。
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         『二菩薩釈迦十大弟子』(1939年)※右端一作品がカメラ枠の都合で欠如