投稿日時:2011年10月14日(金) 10:18
おしゃべりQ館長 File 01
〜田中一村とボクネンにみる『陰と陽』〜
こんにちは當山ですボクネン美術館の館長をしています。さてタイトルの『おしゃべりQ館長』でスタートするこのコーナー。おしゃべりQ館長が「ボクネン美術」に限らず、さまざまな美術の話題を「九官鳥」仕立てで鳴き叫ぼうというもの。勝手気まま、我がまま、着の身着のまま。肩に力を入れすぎないでやっていこうなんて、こうおもっています。よろしく、お願いしますね。
さて、第1回目のお題は、「田中一村とボクネンにみる『陰と陽』」。いま鹿児島県奄美パーク内にある「田中一村記念美術館」ではボクネンの「風の島から」を開催中(10月8日〜11月13日)。これを機会に両作家の作品の特徴および「思想みたいなもの」を拾ってみようと思うております。「田中一村美術」と「ボクネン美術」をQ館長になりに読み解いてみますね。
まず、この二人の作家に共通するものはなんでしょう。それは「南島風景」と言いますか、「亜熱帯の動植物」などを盛んに描いているところです。逆に共通しないものはなんでしょうか。言わば、どうしても避けることができない「生まれた場所」です。一村は奄美に19年住んでいたとはいえ栃木県に生まれており、ボクネンは伊是名村(離島)に生を受けています。このことは否応無しに二人の作家の絵の特徴をとらえるうえで大変重要なことになります。
つまり一村は「陽」に憧れるままに「陰」から抜けきれず、ボクネンは「陰」に憧れるままに「陽」から抜けきれないように思えます。ただ、これは一村が「陰」だけで絵を構成していて、ボクネンが「陽」だけで絵が構成しているという意味ではありません。優れた絵画はどんな作品でもこの「陰」と「陽」がそれぞれに自立し表現されています。「陰」と「陽」は、作家が育った環境・生活のぶんだけバランスをとって画布のなかに顔を見せてくれます。
ここで実例をあげてみんなで考えてみましょう。一村が奄美に来島してからの作品だと思いますが(すみません。作品名が思い出せません。大作というのでなく秀作という感じでしょうか)、縦長方形で全体4分の1ほど下から水平線が引かれています。つまり陸側から海の方を眺めています。ほんとに地味な構図で、作家が海を見ようとしているのに横一列のモクマオウかなんかの防潮林が隠して邪魔をしているのです。
この作品で一村は海の水平線がモクマオウの幹の遮りによって、とぎれとぎれにしか海を見ることができません。水平線も途切れているのです。これは一村が「栃木」という海のない内陸の地域で生まれた「陰」を象徴しています。しかし、そのぶんだけ鮮やかに「海への憧れ」をいっそう豊かに引き立たせています。
それに比べてボクネン作品には、海を遮断するモクマオウなどはいっさいありません。それは必要ないのです。それどころか、作家は直接海に入り込み(おそらく素潜りで泳いでいくのでしょう)、その絵の対象である「海で死んだ霊」まで見ています。これは『さきよだ』(1988)において象徴されている「陽」のもとでの「陰」が描かれている作品で私たちは理解できます。
ここであまり長くなるといけませんので、結論を言ってみます。
つまり一村は「陰から陽」を描き、ボクネンは「陽から陰」という手法で作品をなりたたせています。どちらも視点は違うとはいえ、優れた作品を私たちにプレゼントしてくれているのは確かです。なぜかと言うと「陰と陽」のない作品はおそらく優れたアートにはなりえないでしょう。
とにもかくにも二人とも素敵な作家だと思います。さて、今日はこれでおしまい。
また、会いましょう。(写真は「田中一村記念美術館」内)