投稿日時:2011年09月28日(水) 15:46

万想連鎖16

風の島からファサード2


ボクネン版画に思いを寄せる全国の通信員たちの「声」を届けます。トップバッターは、福岡県の那和慎二さん。その20年来のファンぶりは、作家や作品の機微にふれ、思わぬ情報がいっぱいです。それでは、那和さんの『万想連鎖』シリーズをごゆっくりどうぞ。

 万想連鎖16 

ぼくのヒマワリ 

那和慎二(福岡通信員

歓喜-1998.jpg1998-歓喜-

 沖縄行きが近づいてきた。ボクネンにまつわる万想は尽きないのに、なかなか文字にできないまま、今に至っている。しかし、5月15日のトークライブに合わせて、13日から2泊3日の沖縄行きを決めたとき、身構えるものがあった。そして、ボクネンに会うには儀式が必要だと考えた。

 1月に沖縄へ行ったときに買い求めた画文集「風のゆくえ」をあらためて手にとった。版画は観ていたのだが、実は、文章をきちんと読んではいなかった。言い訳はある。ボクネンの文章は実に独特で、取り付きにくいところがある。島言葉も含めて読み方すら分からないこともある。目で字面を追いつつも頭の中にイメージ化できず、何度も投げ出していた。しかし、ボクネンに会うというのに、読んでいないというわけにはいかないだろう。そこで、ふと思いついて、文章を音読してみることにした。人前での朗読なら大いに憚られるところだが、自分が自分に読んで聞かせるのだ。なんという事はない。気軽に読み始めてみたのだが・・・。これがなかなか心地よい。そうか、そうだったのか。このボクネンの文章は音読用だったのだ、とすら思った。黙読では感じられなかった文章のなんとも言えないリズムの良さ、ときにそれを壊す武骨さが混ざっていて、ボクネンの絵を初めて見たときのような、摩訶不思議な世界に引きずり込まれていく快感を覚えていた。その文章は、必ずしも画を解説しているのではない。しかし、読んだ後、左の画に目を移すと、それまでとは違って見えるような気がした。例えば、1月にギャラリーで出会った「彼女のスカート」にまた対峙してみたい、そういう気持ちが起きた。その画の前でまた、この文章を声に出して読んでみたい、そうすれば、画からまた何か違うイメージが立ち上がってくるだろう。そういう気がしている。

 ところで、本を制作する側は、その本が隅から隅まで読まれるとは思ってはいないだろう。しかし、読めばそこにはいいことが書いてある。「文体の震源」などとはその最たるものである。後から気付いたことを筆者にお詫び申し上げる。

 また、声に出して読む試みについて、すでに先月、朗読会が行われていることをサイトで知った。やっぱり、である。聞いてみたかったなぁ。

 さらに、第2章の終わりが近づいたとき、一節に目が釘付けになった。「街のはずれまで来ると、クモンを学ぶ子供の笑い声が聞こえた。」とあるではないか。クモン?あの公文?他に子供が学ぶクモンはないだろう。ふいに現れたクモンの文字に、KUMONで長く仕事をしている者として嬉しく思えたし、それを見過ごしていた迂闊さに、わが口元から苦笑とも失笑ともつかぬ笑みがこぼれた。

 儀式を終えて、沖縄行きがいよいよ楽しみになった。5月15日、ボクネンさんと会ったとき、自分の言葉で、輝く命の寿ぎも、愛も平和も諍いも、語ることができたらと思っている。もう一人のボクネンファンも連れて行く。