投稿日時:2011年01月19日(水) 17:04

万想連鎖 3

風の島からファサード2

 ボクネン版画に思いを寄せる全国の通信員たちの「声」を届けます。トップバッターは、福岡通信員の那和慎二さん。その20年来のファンぶりは、作家や作品の機微にふれ、思わぬ情報がいっぱいです。それでは、那和さんの『万想連鎖』シリーズをごゆっくりどうぞ。


   万想連鎖 3 助けた亀に連れられて

 那和 慎二(福岡通信員)

 そもそも沖縄に住む予定はなかった。全国転勤がある民間企業に勤務しているのだから、その可能性がまったくないわけではない。思い返せば、学生時代の同級生に「幸地」という好漢がいて、その名前からロマンチックな憧れを持たないではなかったが、沖縄に対しては、作られた観光イメージ以上のものを持っていなかった。

 東京を振り出しに、仙台、大阪を経て鹿児島に勤務していたとき、誘われて屋久島を訪れた。まだ、ユネスコが世界遺産登録を始める前の静かな屋久島。数千年のときを生き続けている屋久杉も魅力だが、海亀の産卵があるという話に心動かされた。島の焼酎「山岳」の晩酌もそこそこに、同宿の人たちと永田浜に出かけた。しばらく浜を歩いて海亀の足跡のようなものは見つけたが、海亀の姿は見あたらない。「今夜はもう亀は上がらないだろう」という地元の人の話に、あきらめかけて浜から帰ろうとしたとき、岩場の陰から、バサッという鈍い音が聞こえた。聞こえたような気がした、というほうが正しい。それくらいのかすかな音。その音のしたほう、確かに足跡らしきものが途切れていた岩場に駆け寄ってみると、見下ろした岩の隙間に亀が挟まって動けなくなっていた。どうしてそんな場所に亀が迷い込んだのか、いま思えば不自然なことだ。当時は、まだ、海亀の保護と同時に卵や肉が食べられていた。だから、あるいは人間の仕業だったのかも知れない。同行の人間を呼び寄せ、優に80キロはあろうかという海亀をみんなで持ち上げ、波打ち際まで引きずって、声をかけて励まし、海に戻した。良かった。亀を助けることができて、しかし、それで終りではなかった。それから間もなく、降って湧いたように沖縄転勤の辞令が出る。助けた亀に連れられて琉球へ。おとぎ話を地で行くことになった。

KK3

 

7月(1991年)の転勤。暑い沖縄は、竜宮城とはいかなかった。沖縄の土地柄、気候、食べ物、時間感覚、言葉、人情、すべてに慣れるのに2年ほどを要した。沖縄で食べた物、飲んだものが血となり肉となり骨となるまでの時間が必要だったのだ。

島の光、島の風、島の水が身体に馴染んだと感じた頃、竜宮城が突然、目の前に立ち現れたのである。ある休日、買い物に出かけて立ち寄った沖縄三越。催事場を通りかけて、そこから発されるとてつもないエネルギーを感じた。見れば会場を隙間なく埋める版画、版画、また版画。そのまばゆいばかりの作品群を前に、助けた亀のことが久しぶりに思い出された。ああ、あのときの亀が連れて来たかったのはここだったのか。竜宮城はここにあったのか。作品群のエネルギーに感電したような痺れを残して外へ出たとき、街の風景が、それまでとはちょっと違って見えた。(続く)[作品『上潮』1990]