投稿日時:2016年07月04日(月) 15:22
ギャラリー散歩
名嘉睦稔の作品にはいろんなそれこそ万象彫りのイメージがある。とくに万象連鎖シリーズでは「死後の世界」や「森の神秘な世界」など不思議な作品が見たことも無い想像の世界として描かれている。例えば、上掲の作品『渡橋』(1997年)は明らかに三途の川を渡る人々のことを描いている。この作品は作家の死後におけるイメージがテーマになっているが、とにもかくにも摩訶不思議な絵だ。以前にも『開口』(1997年)という作品があり、これもまた『渡橋』と同様なテーマである死後の世界が描かれている。
さて、ここで二つの作品『渡橋』と『開口』について話をしようとおもうのだが、例のごとく言葉は作家や作品の潜在意識を見つけるのはでなく、言葉によって批評家自身の「思考」をつくっているに過ぎないからそういうふうに了解してもらいたい。つまりは、このふたつの作品から死後の世界の作家のイメージを絵の配置、絵の構造、登場物、登場人間などで考えを述べることにする。
いわゆる作品はその表現法から作家の内面の世界を映しているということになる。まず『渡橋』と『開口』に共通なのは、真ん中に骨壺のような死後の世界のような門らしきものがあり、それを取り巻いているものが、ほとんど左右対称に配置されていることである。上掲の作品では、一対の鶏、一対の魚、一対の獅子が左右に施されている。これは作家が死後の情景を整然とした空間としてつくりあげていることで、決して死を恐れていない「意志」というようなものがうかがえる。
そして三途の川を渡る人間がひとりではなく、四人で「一緒」に渡る場面が描かれている。これも死後の世界を「孤独」に河を渡るものではないということ、つまりは「安寧・希望」を暗示している。とにもかくにも、作家は「死を肯定する」というおもいによってこの作品を成り立たせているようだ。『開口』作品でも人物の左右対称、鳥の左右対称、獅子の左右対称、花の左右対称、骨壺(死後の門)の屋根での竜頭の左右対称と、整然とした不安のない世界が描かれている。これもまた「死後の安寧」を表現している。
しかし、ひとつの主張は反対の主張も表裏一体となって隠されていることもありうるのであり、作家は死後の世界に安寧を求めているぶんだけ、刻々と近づく死への不安も感じているようにおもわれる。万象連鎖シリーズを筆頭に数々の作品にしてそうだが、作家は「見えないものを視る」ことから逃れられないなにものかを心に宿しているようだ。