投稿日時:2015年08月25日(火) 14:47

おしゃべりQ館長 その26

OQ表紙

 ある作品を前にして、遠い過去を憶い出してしまうなんてことはありませんか。私の場合、大体が風景ということになります。例えば、ゴッホの『アルルの病院の中庭』(1989年)を見ると、なぜか昔訪れた親戚のアパートの外廊下から見た中庭を憶い出したりします。また、岸田劉生の『道路と土手と塀』(1915年)では、小学校のころ野球に明け暮れていた運動場への夏の坂道を憶い出したりします。

 みんなさんも、このようなことは案外あるとおもいます。そして、過去の記憶を呼び寄せてくれる絵画は、私の場合ですが、ほとんど好きな作品になっています。つまり、芸術とは、たくさんのひとがたくさんのことを感じさせ、たくさんのひとに憶い出させることが多いほど傑作になるかとおもいます。上述のゴッホや岸田劉生などの絵は、たくさんのひとがたくさんのことを感じっているからこそ、芸術と言えるまでになったのだとおもいます。

 さて、この過去の現実の記憶とは違って、本の内容を憶い出せてくれるという絵画作品もあります。つまり、その小説のなかでもっていたイメージが絵画作品となって現れてくるのです。これは直接に経験した記憶というわけでもないので、とても不思議です。でも、私にとってこのことは、とても興味があるものです。つまり、その小説作品を読んだ感動をフィルターにして、もう一度感動を伝えてくれる絵画作品というわけです。そいうことともなれば、その絵画作品は優れた芸術に違いないはすです。

 その小説ですが、明治期に書かれた島崎藤村の『春』(1909年)です。この小説は北村透谷をモデルにしたと言われる青木が理想と現実の矛盾のために自ら生命を経つものですが、その青木が小説のなかで松林を悲しみのうちに彷徨うシーンがあるのですが、私はこの小説の場面にすごく心を魅かれてしまいました。いまでもその小説のことを憶い出すと、胸がつまってしまうほどです。

 ところで私が小説『春』で青木が松林を彷徨うシーンがあると言いましたが、ついこの小説の場面を憶い出してしまう絵画作品があります。その絵画作品とはボクネンの『松林』(1997年、32.2×25.2cm)です。この作品をみるといつも、あの島崎藤村が書いた小説『春』にでてきた青木が彷徨っている松林を連想してしまうのです。

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『松林』