沈黙の言葉。

「色がとても力づよいですね」「絵の細かさにたいへん驚きました」「沖縄ならではの迫力ですね」などが、私たちの誰もが絵を前にして感想を述べるときの言葉です。でも、そう言ったあとになにかスッキリしない言葉の残り感があるのは誰もが経験したことがあるでしょう。

絵画や音楽の感想を述べることは、やさしいようでとても難しい感じがします。みんなが正解のようで、不正解でもあるような気がしてなりません。

その絵や音楽を説明する正解のない言葉についてですが、最近「これだ!」という目から鱗が落ちるようなおもいをしたことがありました。

それを気づかせてくれたのは、先週訪れてきてくれた九州福岡からの障がい者の団体「セルプちくほ」の29名さまです。美術館では確かに引率者や介護職員の方々は、おもいおもいにさまざまな絵の感想を述べてくれます。それはそれでとても嬉しいことです。

ところが彼らの周囲にいる障がい者の方々は、ほとんどしゃべりませんし、絵の感想なども口にしません。黙ったまま絵をじっと見つめているだけです。そのようすは鑑賞者が絵と無言の言葉を交わしているよにも見えます。そういえば以前、絵を前にして黙ったまま涙を流し続ける障がい者の方を見かけたことがあります。

絵と鑑賞者の橋渡しをしているのは一体何でしょう。それは「言葉」ではない気がします。「沈黙の言葉」とでも言うのでしょうか。そこには、私たちが辿り着けないとてつもない大事なものが潜んでいるようにおもえます。

私たちの心のほんとうのほんとうは、発声された「言葉」のなかにあるのではなく、発声されない「沈黙」のなかにこそあるのではないでしょうか。もはや、そこで発声され語られる言葉は瞬時に飾られたなにものかに変わってしまっているようにおもえます。

鑑賞時間も終えたお別れのとき、添乗員の女性がスタッフに笑顔でこう言ってくれました。

「美術館にたどりつくまで、元気のない目をしていたのに、ここにきて急にみんなの目の色が変わりましたよ。ほんとによかったです」

<當山>

(掲載作品『森を登る月』2006年)