[ようこそ美術館へ]だから絵はおもしろい。

ボクネン美術館には、個人客や団体客などいろんなお客さんが訪れます。時にはその鑑賞者の方々から絵のことを聞かれたりしますので、答えたりすることもあります。ただ、絵は説明できるものではありませんので、なるべくそれは差し控えることにしています。それで基本的な情報、作家のプロフィールなどで対応します。

それでも鑑賞者たちとの会話には、興味をそそるものが少なくなありません。

例えば、ある出版関係の女の人がある絵(掲載作品『飛蝗』<ひこう>)を目にして、たくさんの「トビウオ」が飛んでるように見えたと言うのです。ぼくの目には見るからにそれは「トビウオ」ではなくて「バッタ」にしか見えません。

しかし、そう言われて見れば「トビウオ」に次第に見えてくるから不思議です。そしてぼくは、念の為、こう聞いたのです。「もしかして、海辺の町に育ちましたか?」。すると彼女は「どうして、分かるんですか?」と答えてくれました。

ですからこの絵に描かれているものは「バッタ」でも「トビウオ」でもいいんですね。絵を見る人が、直感的に感じるものこそ大事なんですから。そういえば、ぼくは畑でバッタをよく目にしたヤンバラー(ヤンバル育ち)でした。

それから、福島から来た女性客が『節気慈風』(せっきじふう)の隅っこに描いてある渡り鳥が山野を飛んでいる絵を見てしばらく佇んでいました。ぼくが「どうしたんですか?」と尋ねると、その絵の部分を見て「故郷の福島の風景にそっくりで…。思い出してしまいました」と言ってくれました。これも「伊是名」でも「福島」でもいい。観る人が心を揺さぶられればいいのですから。

もうひとりは、沖縄のおばあ。これはそんじょそこらのあばあではありません。ユタ(霊媒者)でした。彼女が『巌臥蒼龍』(がんがそうりゅう)の松の幹に空いている穴を見て「ああ、霊がこの絵には住み着いているね」ときました。これも「霊」であろうが単なる「穴」であろうが、いっこうに構いません。全てオッケーです。

「トビウオ」であろうが「福島」であろうが、またまた霊の棲みつく「穴」であろうが、みんないいんですね。だから絵は、自由で面白い。