投稿日時:2018年08月20日(月) 16:59

ボクネン ・インタビュー

 

—  きょうは“場”について話しましょう。まず、あなたの作品には『緑門』や『一本道の福木』『未来からの風』など“場”がモチーフになっている作品が多いですよね。そこで、この“場”について話してもらいます。

ボクネン  まず『緑門』について言えば、あれは世界の人々が共通して反応する“場”とおもう。みんなが恐怖心を抱かない。希望、安心、安らかな気持ちといったふうに、これから先のこと、つまり未来を感じるんだね。これは僕がアジア、ヨーロッパを訪ねた経験からしてもみんな感覚は同じだったね。

— そうですか。それはわかる気がするなぁ。

ボクネン  例えば僕の作品にヤギが暗いところにはいって行くのを描いたのがある。それを見てみんな怖いというんだ。ヤギは鑑賞者に向かって「こっちにおいで」って言ってるからね。つまり、その先は闇だから、みんな怖いって印象を持つんだね。かたや対象物が明るいところに向かう作品というのは、希望などを感じるんだね。

人間も捕食者に追われていた大昔や戦争のときの恐怖の記憶があったから暗いところへ行くと安心したときもあったんだ。そういうふうに考えると、『緑門』に感じる“場”の力というのは、生きることが保証されるプラス的なものなんだね。

—うんうん。

ボクネン   “場”のことでもっと僕が言いたいのは、“場”がもつ “霊性”だね。例えば人間は、いろんなときにいろんなところで同化したり影響を受けたりするよね。精神が高揚したり、まどろんだりね。それは “場”が持っている力によるんだよ。その“霊力”が気持ちとなって“自分”と“場”の間を往還するんだね。この往還こそが僕たちと“場”との関係なんだとおもう。

— ははあ。単なる“場”ではなくて、“霊性”ですか。

ボクネン それは人間ばかりでなく動物にも言えるんだ。例えば僕が生まれた島でのことだけど、黄昏時の野良がえりに馬を連れて帰るとするよね。するとある一定の場所にくるとね、馬はどうしてもそこから動かなくなるんだ。そこは崖近くの道で馬車が落ちかねない場所。もちろん、馬は興奮してね。暴れるんだ。

—  馬もなにかに危険を察知しているわけですね。

ボクネン  そう。馬はいつも同じその“場”で必ず興奮するんだ。その時は馬のくつわを引いて、怖がるところを体で隠して見せないようにするんだけど、僕もとても怖かったね。

—    それで、馬がその“場”で怖がった理由というのはわかった?

ボクネン  いやわからない。でも、その馬が興奮する理由を考えると一点しか見てないんだよね。目をカーッと見開いて、そこに興奮しきっているんだ。前足を上げてね、もうこれ以上行きたくないって感じ。そこを人間はむりやり馬を誘導して行くわけだよ。

—    ほほう。

ボクネン  その経験で “場”が持っている力を感じたな。

—    ふむ。

ボクネン  馬にしたら、 ここに何かいるなって感じなんだろな。それでこっちも鳥肌がたつわけ。やはり“場”というものはどうしても特定な“霊力”を持っていると考えなければならない。

そこに行けば必ず見れる異質な存在? 僕はそういうものをよく見た経験があるよ。小学校の頃はそれを見るのがとくにひどかった。

例えば、この石のところにくると、このあじまーに来ると、あの木の下に行くという感じで、それぞれの“場”があるわけだね。

—  こうなると、動物も人間も同じバリアーで感じ合っているということ?

ボクネン だけど人間は知識があるからね。これまでの経験を人間的に論理化してきたんだよ。そういう人間っぽい考え方で生き物たちに対抗しようとしているんだ。だけど、生き物は直接的な反応だからね。人間とは違う。

—  ところで、『緑門』という“場”の話に戻るけど、世界のひとがある意味あの作品に“霊力”を感じたことになりますか。

ボクネン 確かにあそこには、記憶の中で精神の記憶も含めて“場”が思い出してくれる“霊力”があると思う。ところが“闇の中へ”という逆もある。ネズミがそうだね。ネズミにしたら、その明るいところというのが恐怖になる。そこでは捕食者にやられるからね。

ちなみに人間は環境や時代に応じて明るいところを怖がったり、闇を怖がったりすることもあったんだ。その大きな理由は捕食者(敵)が隠れていて、そこを怖れていたからなんだ。

—  なるほど。

ボクネン これは地球で生命が発生した30億光年前から始まった生命の生きる装置がそうさせたと思うね。人類も危険な場所に行ったときに、すべからく感じたものだよ。非常に古い記憶、生命の根元につながるものだね。

僕たちは、その生命装置を身体では憶えている。どんな都会にいようが憶えている。これは文化じゃない。これは文化以前の問題だろうな。

—  そうなると、『緑門』のような作品に描かれた“場”は人類の記憶であり、人種を超えて希望や安らぎなどを感じさせるということになりますか。

ボクネン “絵”は人種を選ばないからね。

—  本日はどうも。