投稿日時:2016年10月25日(火) 14:37
あんたもミクロネシアンだね!
美術館にはいろんなひとたちが訪れる。それは、そのひとたちの鑑賞を通して、意外なことに気づかされたり、勉強になったりもするのだ。いわば、美術館に勤めるスタッフのかすかな知的喜びなのだとも言える。
さて、その知的よろこびを、またひとつ紹介しよう。10月の中旬だ。コンベンションビューローの紹介で、フランスの名だたる新聞社の記者とカメラマンが訪ねてきてくれた。これがフランス人の英語と沖縄人の英語が入り交じって、てんやわんやのな取材になってしまったのだが、そのフランス人たち、どっちにしてもやっぱり興味深い「話」を提供してくれることになった。
まず、44歳なる男性カメラマン。『深遠響森』(2004)<下方に掲載>を見るや、しばらく立ち止まり22歳なる女性記者となにやらフランス語で話しを始めた。そして、『双子の海人』(1989)<上方に掲載>の前に立つや否や、もう動かなくなった。
それから、ぼくを呼びこう言ったのである。「ははあ、これはミクロネシアンだね」(もちろん英語で)ときた。そしてたて続けにぼくを見ながら、「そういえば、あんたもミクロネシアンだね」と笑いながらぼくの顔をまじまじとみたのである。
すると、となりにいたマドモアゼル記者がぼくに向かって「沖縄の方言でなにかしゃべってくれないかしら?」(もちろん英語で)と言いだした。ぼくが、「チューヤ、イメンソーチ、イッペー、ニヘーデビル」と言うと、女性記者は男性カメラマンに向かって、「ほら、言葉だってミクロネシアの言葉にそっくりだわ」ときた。カメラマンも盛んにうなずいている。
考えて見れば、フランスという国はピカソがアフリカ美術に傾倒し、ゴーギャンだってタヒチで名作を残している。フランスのシュールレアリストなどはオーストラリアのアボリジニ美術に深い影響を受けている。こうなると、フランス人が太平洋の南方系美術に興味を寄せないはずはないわけだ。
それにしても、フランスのお二人さんがボクネン美術館で「ミクロネシア」を感じ多いに喜んでくれたのは、ぼくにとっても非常な驚きなのであった。ところで、これがフランスで新聞記事になるとするとどうなるのだろう……。