投稿日時:2016年06月20日(月) 13:58
ギャラリー散歩
昨日の日曜日は、沖縄県立博物館・美術館で開催中の『巨匠たちの軌跡』を観てきた。19世紀後半の印象派の画家たちの67点も展示してあったこともあって、かなり当時の時代の雰囲気をつかめた。
それにしても、目的はゴッホ、セザンヌ、ゴーギャンあたりの名作を期待して足を運んだのは間違いない。つまり、ゴッホの『アルルのはね橋』、セザンヌの『洋梨のある生物』、ゴーギャンの『ブルターニュの少年』などに期待があったのだ。しかし、それらの作品たちは、すでに教科書や雑誌、あるいはテレビなどのさまざまな媒体ですでに観ているから、それほど興奮するにはあたらないだろうというイメージは少なからずもっていたことは確かだ。
しかしやはり、その気持は作品たちを目の前にして引っくり返されたというのが本音である。とくに『アルルのはね橋』は、河川のブルー色の鮮やかさに仰天させられた。原画の色はやはり印刷物では図り知れないほど別物であった。これまで『アルルのはね橋』は、のどかな地方の風景、遠景の空間の配し方、とにもかくにも配置物の絶妙なバランスなどに魅かれていたのがほんとうのところである。
しかし、その『アルルのはね橋』を目に前にしたとたん、びっくりしたのは絵の具の発色力というか鮮やかさが衝撃的に目に飛び込んできたのである。「ああ、これは印刷物ではとうてい気づかないな」とおもったのは、ぼくだけじゃないだろう。絵はまず目から感じ取るというのは、まったくもってほんとうのことだとおもった。
そういえばセザンヌだったとおもうが、「絵は手ではなく目である」といったことが思い出された。