投稿日時:2015年10月05日(月) 14:48
おしゃべりQ館長 その32
先月、「障害ある作家展」という見出しの記事を新聞で読んだ。埼玉県立近代美術館の学芸員が全国から美術作家12人を推薦し、「すごいぞ、これは!」展を、9月19日から同美術館で開催されるというのだ。いま、10月だからいま開催中のはずである。ちなみに沖縄からは喜舎場盛也さん(36)が「漢字シリーズ」と「ドットシリーズ」を出品している。その作品「漢字シリーズ」を下の方に掲載してあるので見てほしい。今回の「おしゃべりQ」は、その喜舎場さんの「漢字シリーズ」を観賞してみよう。
まずはびっしり書き込まれた漢字だ。ひとつひとつ並べ込めるように丁寧に寄添っている。素朴でやさしい線が画面を隙間なく漢字として敷きつめられている。これはひとつの規則性というもので構成されているのであるが、決して息苦しくないという不思議さが感ぜられるとおもう。それどころか柔らかさと滑らかさのような味わいを醸し出しており、おおらかさまで感じてしまう。その理由は、水彩(油彩)ペンで描かれた温かみといおうか、純朴な線の自由さが獲得されているせいだろう。普通、規則性や拘束性というものに牛耳られてしまうと、その自由さや柔らかさはなくなり、非人間性や組織性などに染まってしまうのだが、喜舎場さんの作品は、そんなことは微塵も感じられない。まるで自由な個性をおもいっきり楽しく遊んでいるようだ。
喜舎場さんの作品は「規則性」と「自由性」が同居している。そして、その構造のなかに「人間」の息吹きが感じられるという点に、まさに作品が「生きている」という根拠をつくっているのだとおもう。
さて、ぼくはこの喜舎場さんの作品を論じているうちに、ボクネンの[桜乃花滝](2008年)を憶い出した。この作品につていは、さんざん言ってきたのでここでは遠慮するが、ただ[桜乃花滝]には超視線的な“ゆらぎ”を強調しておいたはずである。その“ゆらぎ”とは、胎児が母胎のなかで「形」や「色」を認識するときに感じるものではないかというものであった。
そこで喜舎場さんの「漢字シリーズ」をずっと見ていると、そのうち“ゆらぎ”のような目の錯覚を感じるのである。つまりは、「漢字シリーズ」も[桜乃花滝]も、私たち誰もが経験した「胎児のゆらぎ」の世界へと密かに誘っているのではないだろうか。
[無題 漢字シリーズ](喜舎場盛也)
[桜乃花滝](ボクネン)