投稿日時:2012年01月18日(水) 21:23

万想連鎖 19

風の島からファサード2


ボクネン版画に思いを寄せる全国の通信員たちの「声」を届けます。トップバッターは、福岡県の那和慎二さん。その20年来のファンぶりは、作家や作品の機微にふれ、思わぬ情報がいっぱいです。それでは、那和さんの『万想連鎖』シリーズをごゆっくりどうぞ

万想連鎖19 オオコウモリが飛ぶ

那和  慎二(福岡通信員BR19

伊是名・伊平屋では、原付を借りて合計200キロを走ったので、すっかり日焼けしてしまったが、日差しの強烈さの割には気温も九州より低く、何より風が心地よくて過ごしやすかった。それでも、暑いことは暑い。沖縄に来るたびに思うことは、交通渋滞が激しくなっているのでないかという心配だ。車の増加も道路整備も、人間という自然の生き物の営みに違いないが、なぜそこに不自然な違和感を持つのだろう。静かな島でガソリンを燃やし、騒音をまき散らして鳥や虫を不用意に驚かせておきながら、勝手な言い分とは心得ている。舗装道路の上と自然の土の上では、明らかに温度が違う。日中のアスファルト上では、人間は生きてはいけないのだ。だから、建物の中に閉じこもり、エアコンを回して外気をさらに熱くしている。若干の経験も含めて、知識としてそう理解している。

ボクネンとの対話は、余計に緊張することもなく、當山館長が席を外した後も、リラックスして続けることができた。ボクネンは言う。吹いて来る風の向こうに何本の舗装道路があるのか、風の温度差から感じることができるのだと。確かに、風はいつも同じ温度ではない、温かい風の中にふと冷たさを感じたり、風の冷たさがふと緩んだりする瞬間は、思い返せばあったような気がする。しかし、そのとき、そのわけを考えたことはない。無色透明な風の中にある無色透明の縞模様を、その微妙な温度差から感じ取り、その温度差の源まで想いを巡らせるボクネンのような感性を、他の人の口から聞き出したことはない。すべては己の感性によってとらえた事象が先にあり、知識は後付けである。物事の見方、感じ方がまるで逆なのだと思った。

北谷美浜地区が、元々どのような自然環境であったのか知らない。海を埋め立てたことは想像できるが、今は、道路と商業施設、ホテル等に埋め尽くされていて元の自然の面影は見当たらない。それらの建物が、やさしいオレンジ色の光に包まれる頃、アカラ3階のJANOSZのテラスから見下ろすビーチの小さな茂みから鳥が飛び立った。鳥。なんの鳥かと聞かれればカラスと答えたと思う。カラスとも認識せず、鳥と思ったその正体は鳥ではなく、ボクネンからオオコウモリだと明かされた。人間が街の美観を意図して植えた街路樹の実を、どこからか来て住み着いたオオコウモリが、ギャアギャア鳴きながら食べるのだと言う。同じ世界に住みながら、見えているものがまるで違う。感じているものがまるで違う。さっき一緒に食べた沖縄そばも、同じものを食べながら、まったく違う味わい方をしているのではないかと思った。大海原を群れて泳ぐ鰹や、家畜として営々と飼われてきた豚のそれ以前の姿にも思いを馳せて、沖縄そばを食べることから練習してみよう。(作品「万象連鎖143 玉数」2005年)