投稿日時:2011年08月02日(火) 16:13
万想連鎖 11
ボクネン版画に思いを寄せる全国の通信員たちの「声」を届けます。トップバッターは、福岡県の那和慎二さん。その20年来のファンぶりは、作家や作品の機微にふれ、思わぬ情報がいっぱいです。それでは、那和さんの『万想連鎖』シリーズをごゆっくりどうぞ。
万想連鎖10 才能をつかむ
那和 慎二(福岡通信員)
子どもを中心に人間の能力開発に携わる仕事をしている。随分大袈裟ないい方に聞こえるかもしれない。一般企業の社員にすぎないのだから。一般的には「塾」という言葉で一括りにされてしまうのだが、会社が提供しているサービスを使って花開いていく子供の能力、人間の才能はすばらしい。こんなにもすごい可能性が一人ひとりにあるのかと驚かされる事例に事欠かない。どころか、驚かない例外はない。と言っていいほど、一人ひとり人間の能力はすばらしい。私が携わっているのは、昔から言う「読み書き計算」から、学力を伸ばしていく分野だが、誰にも知的好奇心、あらゆるものへの興味関心は備わっているから、適切な環境を用意してやれば、驚くほどの吸収力で知識や知恵を自分のものにしていく。「読み書き」という能力も「計算」という能力も、ある瞬間、コツのようなものをつかんだとき、その後は、恐ろしい勢いで変化・成長を遂げていく。そのコツをつかむのに、さほど時間を要しないときと、長い時間が必要な場合とがある。そこに個人差はあるが、成長のためのムダな努力というものはないと感じている。
さて、ボクネンの才能については、一般にどのように受け止められているのだろうか。天才。天賦の才能。そう思っている人が多いのではないかと思う。確かにそういう部分もあるだろう。しかし、私は、少し違った見方をしている。私の解釈というか仮説はこうである。ボクネンは、誰しもそうであるように、この世に生まれて自分の身の回りにあるもの、人間の生活も含めた自然環境に旺盛な好奇心を示し、あらゆるものへの興味関心を持った。幸い、その好奇心、興味関心を周囲の大人が邪魔することなく、ボクネン自身の時間と空間の中で、心ゆくまで満たしきることができた。その世界の中から、本質的なものをつかむコツをひょいと体得したことによって、計り知れない万象の風景を、ミクロにも、またマクロにもインプットし続け、脳の隅々に刻み続けることができた。この途切れることがない果てしない学習と、その膨大な情報を脳内でイメージとして処理をする姿勢と習慣をまったく自分のものとすることができたのである。そうだったのではないだろうか。
誠に勝手な想像にすぎないので、ボクネン本人に確認すれば、言下に否定されてしまいそうな気もするが、根本的なところでは間違っていないと思っている。ボクネンの中に次々と湧き出るイメージは、膨大な自然をインプットする能力をつかみ、学習し続けている巨大な袋のわずかな破れから、噴き出しているようにも感じられる。私もボクネンと同じ景色を見ているはずであるが、まだ、その能力をつかめていない。300年ほど生きれば、あるいは、ボクネンのような世界が破れ出てくるのかもしれない。