投稿日時:2011年06月20日(月) 15:11

万想連鎖 9

風の島からファサード2

 ボクネン版画に思いを寄せる全国の通信員たちの「声」を届けます。トップバッターは、福岡県の那和慎二さん。その20年来のファンぶりは、作家や作品の機微にふれ、思わぬ情報がいっぱいです。それでは、那和さんの『万想連鎖』シリーズをごゆっくりどうぞ。


 万想連鎖9 向日葵の居場所

 那和  慎二(福岡通信員)

 

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 沖縄を離れて無性に食べたくなるものは何か。沖縄そばである。沖縄に着任して初めて沖縄そばを食べたとき、そばではない、うどんでもラーメンでもない、麺も出汁も初めての麺類を、どう受け入れてよいものか手こずった。観光客がソーキそばに首を傾げる気持ちはよくわかる。しかし、食べ慣れて美味しく感じるようになれる食べ物はある。県民食とも言える沖縄そばを理解しようと、足繁く食堂やそば屋を通ううちに、毎日食べても飽きない、最も身体に馴染む麺類になっていた。在任58ヶ月の沖縄を離れるとき、知り合った多くの人たちとの別れは辛かったが、沖縄そばとの別れも辛かった。

 二度目の熊本勤務のとき、休日に自転車で街を探訪していた夕暮れどき、沖縄そばののぼりが目に留まった。時代を感じさせる古い商家。ためらうことなくガラス戸を引いた。思いもよらぬ沖縄料理店の発見だった。カウンターに腰掛けて、沖縄そばを注文しようとメニューを見れば、オリオン生がある。まずは一杯飲んでから懐かしく沖縄そばを味わった。腹が落ち着いて壁の棚を見れば泡盛の一升瓶がズラリと並んでいた。熊本市繁華街を少しはずれた仁王さん通り、店名は「ゆがふ」。与那国島出身者を父親に持つウチナンチューハーフの濱(ハマ)さんこと東濱さんとの出会いだった。

 その後、通いつめた「ゆがふ」についてはいろいろな思いがあるが、その思いが一つの形になっている。座敷に2間分の壁があるのだが、そこには、ちんまりと沖縄そばのポスターが貼られていた。それはそれで、沖縄料理店らしいのだが、せっかくの壁面がいかにももったいない。なんとか生かせないものかと眺めていたそのとき、ふと北谷のギャラリーで買ったまま、タンスにしまいこんでいた風呂敷を思い出す。『真南風の向日葵畠』2枚組の風呂敷。あれを額装したら、その壁にピタリと収まるはずだ。旧家の雰囲気を壊さず、沖縄料理店らしさを盛りたてるであろうアイデアに一人興奮し、その場で濱さんにその壁を無償で借りることを申し出て、半ば拝み倒すように申し入れを受け入れてもらった。店から程近い画材店「あおい舎」で額装が出来上がったときの喜びは、2枚の額の重さをも楽しく感じさせてくれた。想像していた通り。店内の空気と壁の色とやわらかな灯りに『真南風の向日葵畠』は見事に収まった。1年中向日葵というのもどうだろうと、当初懸念しないでもなかったが、次第にそこを居場所と決めたように額と壁とが馴染んできている。見るたびにその想いを強めている。

 いずれ、「ゆがふ」が繁盛を極めて大きな店を構えるに至ったとき、畳4枚分の大作「真南風の向日葵畠」本物を購入して店に飾ってもらいたいと願っている。作品がさらに客を呼び、向日葵畑のごとく客で埋ることを想像している。                                                                                (作品『真南風の向日葵畠』1998)