投稿日時:2011年04月14日(木) 11:28
風の島から Episode 13
第3回『コザ・てるりん祭』にボクネン出演
このまつりの、なりたちを少し説明させてもらうと、1945年に太平洋戦争が終り、沖縄は日本で唯一地上戦もあったということで、ぺんぺん草もはえないほどの焼け野原になったことが「まつりの根っこ」です。そのころ、米軍が基地をつくり始めるのを横目に、ウチナーンチュ(沖縄人)は自分たちの生活をたてなおさなければなりませでした。その厳しい生活の毎日に「芸能人たちの歌と踊り」が、県民を元気づけてくれたのです。
その先頭に立った芸能人のひとりが、照屋林助さん。その林助さんらの元気をもたらした芸能活動をたたえ、コザの街づくりの財産にしようというのが、このまつりの願いなんですね。
もうご存知でしょうね。照屋林賢(りんけんバンド)と照屋林次郎(三線職人・このまつりの実行委員長も務める)の父が、その照屋林助さんなのです。この親ありて、この子らありという感じですが、林助さんの血は子どもたちに確実に受け継がれているようです。
林助さんの戦後の仕事をくわしくここで説明するには、文字数が足りないので省きますが、ただ戦前はなやかだった「しまうた」を掘り出して歌っただけでなく、それに「和風芸」を味付けして、新たな芸風をもたらしたことは注目すべきことでした。これは林助さんの先輩にあたる小那覇舞天(おなはぶーてん)さんも「琉球風の寄席演芸」を庶民の生活のなかに浸透させたひとりです。
林助さんの戦争が終わったあとの芸能活動は小那覇舞天さんとともに貴重だったというたことで、『コザ・てるりん祭』が開催されているのです。
さて写真のステージは、ボクネンとりんけんさんがトークショーを始めだしたところ。ボクネンは生前の林助さんとは芸能、アート、社会問題、ゆんたくと、いろいろつきあいのあった仲。林助さんは晩年、足に難をかかえながらもコアの仮装パーティーによく顔を出してくれました。そのおつきあいもあって、ボクネンは、このまつりの常連です。
さてステージですが、りんけんさんとボクネンのトークは自由奔放そのもの。「父親では失格でしたが、人間としては素晴らしかったです」と、りんけんさんが繰り出すと、ボクネンが「いや、父親らしいこともあったはずだ」と言い返し、話はなかなかまとまらず。そんなこんなで、それを取りまとめたのは、サプライズでステージに上がってきた宮本亜門さん(ミュージカル演出家)。亜門さんの助っ人で、なんとか二人のトークショーも形になったようでした。
「こんな催しは素晴らしい。これからも機会があったら参加したい。ぼくも応援します」という亜門さんのひと言に、会場のコザの人たちは拍手喝采。
芸能とヒトがクロスして、街が活気づく「地域の地域らしいまつり」。なんだか、いいんじゃありませんか。そんな『コザ・てるりん祭』。来年は、あなたも足を伸ばしませんか。