投稿日時:2016年06月06日(月) 14:03
ギャラリー散歩
作品にはその作品が独自に訴えるものがあります。その訴えるものを客観的に言えば、絵のなかの場所や時間などの表現ということになり、主観的に言えば絵のなかに盛り込まれている主人公(作家)のおもい(感情)になるとおもいます。その客観と主観の両方が作品のなかにしっかりと織り込まれていると、いい作品になるのです。
さて上掲のボクネン作品『少年の水平線』(1992年)を観てみましょう。ここでは、ヤシが並び生える砂浜、遠くに見える水平線などが客観的な表現ということになります。そして、その浜辺で馬を休ませながら水平線を眺めている少年の気持ちが作家の主観的な表現になります。作家は少年のおもいをより際立たせるために綿飴や雪玉のような雲、馬の表情や骨格、自由に飛び交う小鳥たちを存分に描いています。そうなると、この作品の大事なところはなにかと言うと、「砂浜に座り込んでいる少年はなにを考えて水平線をながめているのだろう」と多くの鑑賞者に想像を思いめぐらせるところだとおもいます。
多くの鑑賞者がこの少年の後ろ姿をみて、おもいおもいにそれぞれの想像をめぐらすというのが、この作品の押さえどころなんだとおもいます。作品と私たちを結ぶものはこの「想像」というものであり、これが多ければ多いほど優れた作品なのです。