投稿日時:2015年09月24日(木) 17:01

おしゃべりQ館長 その30

OQ3FASAD

 今年も「2015イチハナリアートプロジェクト+3」に出かけた。+3というのは、これまでの伊計島の展示場に加え宮城島・浜比嘉島・平安座島のみっつの展示場が増えたことによる。ちなみに、今回は4回目。去年も楽しませてもらったが、今回は第3回目の旧伊計小学校の展示場を含まず、すべての作品が村落の空き家を利用しての展示となった。あいにく時間の都合上、伊計島の展示場だけみることになったのだが、少し感じることがあったので話してみたい。これは飽くまでの僕の一方的な見方なので、そういうつもりで読んでほしい。

 ぼくはまず、このアート展名の「イチハナリアートプロジェクト」を去年最初に聴いて、それだけで興奮した。つまり、このアート展は主役が「伊計島」で、もちろんアーティストはみな「伊計島」をモチーフに作品を持ち合わせてくるのだろうとおもった。ところが、先回も今回もそうなのだが、「伊計島」がモチーフというより(なかにはそういうふうなものもあるような気もしたが…)、それぞれのアーティストが思い思いの個性豊かな作品を持ち寄って来て「島」の空き家に展示しているだけにおもえた。

 確かにそれはそれでいいのである。芸術には取り決めもないし、カテゴリーも必要ないのだから。しかし「島」という空間にアーティストがなにを感じ、なにを表現するかが、僕にとっては興味津々だったのである。

 「島」はいま過疎化し、空き家が軒並み増えているなかで、年寄りと子どもだけが、ときおり「島」の中道を通り抜ける。かつて「島」は漁業に湧き、畑も実りの収穫を繰り返した。時には台風のよる自然災害も「島」に大きな打撃をもたらしたに違いない。その度に「島」の人たちは御願所に祈り、奉納の祭りを繰り返してきたにちがいない。そんな「島」の歴史(とき)の流れこそを突き詰めることが、「イチハナリアートプロジェクト」の本旨ではないのだろうかと勝手におもったのである。

 とは言っても、「<芸術>は根っこと幹さえあれば完成です。見る見ないは勝手、その見方も勝手なんです」という思想家の言説に任せるしかないだろう。しかし僕は展示場を回っているあいだ、「島」の実像・履歴を「イチハナリプロジェクト」で実感してみたかったというのが本音である。来年は、期待できるだろうか。

OQ30