投稿日時:2015年09月28日(月) 16:29
おしゃべりQ館長 その31
今月12日に行なわれた『絵の舟に乗って』(アーティストトーク)で気になっていたことがありますので、忘れないうちにここで話しておきます。イベントでは、ステージ横に立ててあるボクネン作品『眼鏡木(ガンチョーギー)の真南風』を会場のみなさんに見てもらい、それぞれ頭に浮かぶことをメモしてもらい、それを佐藤さんが歌にするという趣向になっていました。
最後に、その歌や歌詞について、みなさんに感想を聴いたのですが、なにを勘違いしたのか、ある参加者が美術館に飾られてあった『地球交響曲』の真ん中に猿がいるのは、なぜなのかという質問をしたのです。これにはボクネンも「そんなことわかりませんよ」と、苦笑いするばかり。ちなみに、その質問者はアメリカ人でしたので、イベントの流れを理解していなかったのですね。まぁ、それはそれでいいんですけど、さて美術館関係者としては、この鋭い質問を笑ってすますわけにもいかないので、ぼくが代表していま考えていることを少し話してみます。
この作品は文字通り、地球を音楽にするとどのような絵になるだろうかということをまず考えなければならないでしょう。そしてその音楽はなにを奏でているのかということになるとおもいます。
まず地球には猥雑な生きものたちが渾然と生きていて、賑わいと爆発エネルギーがいつも発散されているということが想像できます。もちろん地球は整然と静かな惑星でもありうるでしょう。しかし作者は生命ではち切れる「地球」を描きたい欲求に駆られているとおもいます。これは作家がこれまでも「地球」の生命については、深い興味を示していることからもうかがえます。地球は銀河のなかで気の遠くなる時間を経過してきて「変化」や「進化」の渦に巻き込まれてきたといった「地球の人生」にも独特な洞察をもっています。
となると、この『地球交響曲』のまんなかに「猿」が不気味な顔をして鑑賞者を見ているのも作品の解釈として入りやすいのではないでしょうか。もちろんこの解釈はぼくQ館長自身の考え方であり、みなさんは「また、あんなこと言ってるよ」として苦笑いしてくれればいいのです。
「猿」は人類の祖先と言われるなかで、いつもぼくたちに人類の成長や失敗をした長い歴史を振り返させてくれます。ちなみに映画『猿の惑星』では、人類が進化したのか、退化したのかわからない気持ちにさせられますが。とりもなおさず、この『地球交響曲』という作品の真ん中に「猿」がいるのは、非常に興味深いことです。つまりぼくに言わせれば、人類がどんなに進化しようとも、ほんとうは人間は「猿」という故郷から逃れることはできないんだよ、と言われているような気がするんでね。そうすると、この作品で「猿」が鋭い目で、鑑賞者つまり人間たちを見ていることが頷けるのではないでしょうか。
今の人間たちのひどい世界をみると、「猿」たちがこう言っているようにも聞こえます。
「てめぇら、400万年前からちっとも成長してねぇじゃないか」
『地球交響曲』(2000年)