投稿日時:2018年10月01日(月) 14:43
ボクネン・インタビュー
− きょうは、伊是名出身の俳人で写真家でもある“末吉發(あきら)”さんについて話したいとおもいます。というのは、發さんが素晴らしい句をつくり優れた写真も撮っていて、「伊是名」という土地柄をよく表現しています。
發さんはボクネンの先輩でもあることから、彼を語ることによって、「伊是名」という島の創作や発想の原動力を考えてみましょう。
まず、最初に彼の写真集に載った文章を紹介します。
蝿
シマには蝿がたくさんいました。
尻の黄色い蝿はこどもの膝のへーガサに食らいつき
牛の背中の蝿は一緒にグーファへ草刈りに行きました
今はもう あの蝿たちは見当たりません
人語が消え 疲れた珊瑚垣が
日に灼かれているばかりです
(伊是名村字勢理客写真集『うらーだーぬが』 あとがきに代えて)
末吉發:1928年伊是名生まれ。沖展写真部会員・俳句会天籟通信同人
ボクネン この文章いいよね。發さんは、伊是名でも稀に見るアカデミックな人でね。ほかにも何人かいるんだけど。じぶんが大人になると、彼らの凄さが今さらながらわかってくるんだ。彼らからいろいろ学ぼうと思っているうちに次第に島からいなくなっちゃってね。
發さんは僕の親戚でもあるんだ。だからいろいろと話は耳にしたよ。彼は役場と土地の売買のことでしきりに喧嘩するひとでね。村の理不尽さに我慢ができなかったみたい。正義感が強かったんだね。非常に遠慮深いひとで、この写真集もやっとこさ出したくらいなんだ。
− ああ、そうですか。伊是名の先輩たちは目立たないけど、迫力のあるひとたちが多いんだね。
ボクネン そう。とにかく彼らの才能が島のイメージを広げてくれたことは確かなんだ。その發さんの兄さんも聖人君子と呼ばれたくらいのひと。「君はものをつくる人間として優れたものを持っている。そういうのを活かした生業(なりわい)をやるべきだよ」と言われたこともあるんだ。僕が小学校の時にね。そう言われて嬉しかったけど、ぼくはそんなんじゃないという気持ちもあったけどね。
− そうですか。そのとき發さんの兄さんはあなたに何を感じたんだろうか。
ボクネン そのときぼくは、三線も弾いてたしね。歌も作っているし。こどもたちにゲームを考案して遊ばせたりしてたね。まあそういうことはやってたけど、しかしそれを彼が見ていたとは思えないんだけどな。憶えてないんだよね。「君は文化系の方向に進んだほうがいいよ」とも言われたよ。
− しかし、何をして彼にそう言わせたのだろうね。
ボクネン ふむ、それはわからないな。
— それからあなたは大人になって發さんの写真作品を見ることになったんだね。
末吉發さんの作品から(『結婚式』⑴ 1976年、伊是名村字勢理客写真集『うらーだーぬが』)
ボクネン 友人に發さんの写真をはじめて見せられてね。僕はこの写真はすごいと、ちゃんと言ったんだ。そしていくつかの文章を見せられた時も、非常に素晴らしいと思った。でも、見せてくれた友人はピンとこなかったみたい。
— ところで、發さんは土地の売買以外には役所へどんなことで反旗をを翻したの?
ボクネン 確かに發さんは普段は大人しいんだけど、しかし言うべきことははっきり言うんだ。
伊是名はこうでなくちゃいかん。石垣は残さんといかん。これは財産なんだよ、これを捨てるなんてどうかしている、なんて言ってたね。このフクギは切っちゃいかんとかさ。
そういうことを色々と言うもんだから、このひとは村のひとたちから気難しいひとだなんて思われたんだね。まあ、發さんに言い返すひともいなかったけどね。
— そうか。すごいひとだなあ。
ボクネン そう。發さんは遠慮はするけど、オブラートに包んでものを言うことをひどく嫌がっていたね。たぶん、それで彼自身、世間を狭くしたこともあったと思うよ。
— なるほど。
ボクネン 島を離れた發さんが僕のことをどこかで聞いたんだろね。それからチカトシ(ボクネンの島での呼び名)は自分のことをよくわかってくれているんだと思ったみたい。このことは僕の友人の話を通してわかったんだけどね。
それから僕が写真集の印刷計画を立ち上げようと言ったら、案の定、「フージンネーン」(みっともない)と發さんに言われてね。
— 「フージンネーン」…か。いや、奥ゆかしいというか。ほんとうにじぶんを前に出さないひとなんだね。
ボクネン そして、なんとか写真集の出版にこぎつけたら、「写真集は自分が勝手につくったものだから、みんなにあげる」なんて言い出すしまつ。
みんなに世話になった分、写真集を無料であげるって言うんだ。それで、ぼくがせめて「タイトルを書かせてください」って言ったら、とても喜んでくれてね。
− ところで、發さんの芸術の根っこはどこにあるんだろうね。
ボクネン 例えば、最初に話した發さんの「蝿」と言う文章だけど、蝿を通してあの時代を描き出しているということはすごい才能と思う。あの“人語もなく灼かれた珊瑚石”という表現はよくわかるよ。かつては伊是名にはひともたくさんいて、空に起伏があって、人間が住んでて幅があって、家にも深みがあってさ。こどもの目線だったからというものあったからだと思うけど。
家ひとつひとつがミステリーゾーンみたいなさ。闇が深くて、緑が濃厚でさ。人々の笑い声がうず巻いていて、生きる上での妬みや怒りなどの人々の感情が常にムゲーッテ(煮え立って)いた。それは攪拌されてさ、祭りでも殺さんばかりの喧嘩まつりになる。そして日頃は牛の糞にまみれてさ。鶏の糞のうえを裸足で歩いてさ。
− その原風景がさっきの写真集に載った「蝿」という文章に繋がっているわけだ。
ボクネン そう。そういうなかで發さんは時代をへて、あの文章を書いたんだ。それは僕の原風景でもあるけれども。
ところで彼が言った蝿がいないというのは、いまの伊是名の現実なんだよ。牛や鶏の糞が当時のようにどこにでもあるっていうことじゃなくなったんだね。
− ふむ。でも發さんは不衛生的であった昔が良かったというような思いを馳せているような気がしないんでもないんだけど。
ボクネン いや、發さんくらいになると、かつて昔は良かったなんて絶対言わないね。恥ずかしくておくびにも出さないだろうね。ただいいものがなくなっていったということは思っているよね。
美的追求っていうかさ、あるがままにあるっていうか、決して洗練されてなくても、そこにある“美”っていうか、それが素晴らしいということは、後々に気づくことなんだよ。それを發さんは、言っている。
− ふむ、昔はよかったという懐古趣味は確かにつまらない…。
ボクネン 当時は、發さんもぼくたちも含めてその美しさを感じたり発見したりすることはできなかっただろうね。それが“美”というものだよ。つまり過ぎていく時間に対して一種の恋慕であると同時に、時間というものに対する評価をしているのだとおもう。
— 發さんに対する評価というか、尊敬というか、そんなあなたの話を聞いていると、あなたにも同郷の先輩たちと同じような感性、感覚というものを感じるな。
ボクネン ああ、そうか(笑)。大先輩の思いをなんらかの形で引き継いでいるとしたら、これほど嬉しいことはないね、
— きょうは島や文化というのが、ひとを通して理解できたように思います。きょうは、これで終わります。(2018年9月13日、“あから”にて)