投稿日時:2017年04月02日(日) 13:39
ボクネン、愛媛の段畑を語る。 〜『遊子水荷蒲の段畑』『星降る段畑』『遊子段畑の夜明』〜
—今年に入って、愛媛の段畑を3点『遊子水荷蒲の段畑』『星降る段畑』『遊子段畑の夜明』を立て続けに描いてますね。その感想を聞かせてください。
ボクネン:段畑は実際の形状そのものが美しいですね。写真で見ても、どうももの足りない。段畑を目の前で見た印象というか、感じたおもいみたいなもの描いたんです。
現場では、段畑そのものが動物のように生きて見えました。うねった迫力があるんです。段畑の下には化け物がいるんじゃないかとおもったくらいです(笑)。すごい巨大な化け物でした。彼らが、いまにもドドドーッと起き上がってくるんじゃないかと…。化け物には鱗があって、蛇腹状の段畑がガバガバッと伸びたりして、段畑そのものが生きているみたいなんです。つまり“生命感”があふれているんですよ。それをなんとか描ければなぁと思いました。
『遊子水荷蒲の段畑』
—そんな“生命感”を表現するとなると、それこそデフォルメなどかなり一筋縄ではいかない工夫が必要だったんでしょうね。
ボクネン:そう。だから現実的には、描きあげた『星降る段畑』のイメージは写真では撮れません。絵を描くときのぼくの視点は、だいたい15メートルくらい上なんです。ほんとうは脚立かなんかがないと写真に撮れない。『星降る段畑』のような光景は、実際には見れません。だからこの作品はある意味、頭で描いているんです。しかし実際の風景から逸脱していかない程度に、デフォルメや誇張をしていくわけですよ。
『星降る段畑』
—『遊子段畑の夜明』の作品で段畑に差す朝陽が印象的ですね。
ボクネン:ぼくは、この段畑の斜面を見たとき、ここは太陽がいっぱい当たるところだとおもいました。作品のなかのあの太陽の位置は、実はぼくの想定なんですよ。この作品のような位置からから太陽は昇るだろうと。つまり段畑で生活しているひとたちは、絵の位置からの太陽に照らされていると想像したんです。そうすると、そこに住んでいるひとたちの“内なる生命感”がこの太陽で描き出されてきたんですね。
『遊子水荷蒲の段畑』も、同じ発想です。作品には光の動きと色が息づいているとおもいます。その光の動きと色が交わったときに、強い“生命感”が生まれた気がします。もちろん描かれている“みかん”の色や他の景物の色もまた、“生命感”と繋がっていきますね。
『遊子段畑の夜明』
—そうすると、作品の背後に当地で暮らした生活者の歴史みたいなものも伝わってきますね。
ボクネン:そうなんです。ようするに、ここのひとたちは生活のために海から離れられなかったんです。漁労で生活しつつ野菜や穀物も食さなければならない。そのために段畑も開墾しなければならなかったわけです。離れられなかったからこそ、こういう形状の畑をつくったんですね。平地の畑を開墾することとは、まったく苦労が違っていたとおもいます。段畑の作品をいくつか描いてみて、そんな愛媛のひとたちの歴史が見えてきたのはすごく勉強になりましたね。
—そうですか。展示会開催地で地域の作品を描くというのは、予想もつなかい奥深いものがありますね。ありがとうございました。
(インタビュー2017年2月10日)