投稿日時:2017年01月23日(月) 14:37
絵と言葉の出会い。
ボクネン美術館は、版画全国専門誌『版藝』に広告を季刊で毎年掲載しています。今回は、2017年春季号。睦稔作品は『祓歌』(はらえうた、1998、45.0×45.0 cm)。この試みは、作品タイトルとは別に、絵に「言葉」を載せてみようという「絵」と「言葉」の出会いをこころみたものです。
ちなみに、今回は『闇の泉』にしてみました。ところで、今回でこの言葉載せの企画、なんと35回に及んでいます。しかしながらこの企画には不思議なところがあって、いったいこの作品と言葉は、ほんとうに出逢っているのだろうかという疑問です。
もちろん、数学のように1+1=2の世界でないことは確かですが、この言葉が採用されるにいたったのはどこに原因があるのでしょうか。このプロジェクトで作家と文案担当者は、おたがいの「着地点」を探します。この両者の「着地点」こそが、絵と言葉の出会いになるのですが、それでもどうしてこの「言葉」なのか、説明がつきません。
確かに作家と文案担当者は、互いに納得したうえで「言葉」を決定します。これは、ある意味その決定は「絵と言葉が衝撃をつくる現場」とでも言えばいいのでしょうか。この決定に際して、意味は分からなくても、その「絵」と「言葉」の繋ぎ目には、確かになにかをなっとくさせる「ゾーン」があります。作家も文案担当者も、もちろんそれを説明することはできません。となると「感動」は「説明」できないところに存在していることになります。
ああ、それでもこの説明では「しっくり」いきませんね。しかし、この「説明不能」のなかに「表現」とか「芸術」は生きていられるのかも知れません。