投稿日時:2016年08月29日(月) 16:11
ぼくには絵がわからない。
この1、2週間、美里中学の生徒たちが盛んにやってくる。夏休みの宿題だ。とは言っても、美術館で模写というわけでもないらしい。美術の先生が言うには、「とにかく美術館を体験して来て来い」ということだ。「なにを感じたか」「なにをおもったか」というのを正直に聞かせてほしいというのが、先生のミッションである。
さっそく一等最初にやってきたのは、3年生の田原君。母親の車に乗せてもらって、ここ美浜の美術館までやってきたのだ。母親と一緒なものだから、なんだか恥ずかしらしく、ぼくと母親と3人で「絵」の話を少しはするのだが、すぐに場所を移して居なくなってしまう。
「この絵がなにをいいたいのかわからない」。田原君は率直に絵が苦手だと白状する。お母さんも「でも、なにかあるでしょ?感じるでしょ?」と宿題が進むように横で応援態勢。ぼくはと言えば、「それはそれでいいんだよ。なんにも感じなくてもいい。正直な意見でいいんだよ」となんだか中途半端な助言。「でも、それも宿題にはなるから、その正直な気持ちをレポートに書けばいいよ」と言うしかなかった。
それから母親もなんだか納得しないという顔をしながら、しかたないといったようす。そのうち、田原君。ひとりで隠れるようにして他の絵をみるためにいなくなってしまった。それから、10分ほどして田原君が少し笑いながら、ぼくにレポートをみせてくれた。そこには、こう書かれてあった。
「最初はなんにもわからなかったけれど、ずっと絵をみつめているうちに、沖縄の村のようすがどんどんあたまになかにあふれでてきて、おもしろなってきました」。田原君と母さんは、それからなんだか気が晴れたようすで二人して美術館をあとにして行った。
クロトンのヒンプンのある家(1989年)