投稿日時:2015年05月11日(月) 16:28

おしゃべりQ館長 その18

OQ表紙

 おひさしぶりです。Q館鳥ですが、しばらく渡り鳥になっていました。さて、今回のお題は「動機づけ」です。つまりは、うちのスタッフが本土のとある公営美術館に先月行ったときの話です。スタッフが観覧を終えてある美術品ブースの前を通りがかりました。「見覚えのある版画だな?」とおもった瞬間、ブースのオーナーみたいなひとが「棟方志功の版画ですよ、いかがですか」と声をかけてきたそうです。するとスタッフはここで心の中で叫ばざるを得ませんでした。「ああっ、これは間違いなくボクネン作品じゃないか!」。スタッフは、ただただあきれるばかり。すると、そのブースのひとは「ほら、サインもついてますよ」とスタッフに自慢そうに話すというのです。ブースの壁に掛けられてあったのは、確かに『賑踊』(しんよう)1997年の作品でした。スタッフは、そこが公営の美術館だったこともあって、あえてその男のひとにクレームを言うこともなく怒りに震えながら立ち去りました。

 さて、ここでなにが問題となるのでしょうか。まぁ、いろいろあるとおもいますが、まずその1「理不尽な商売しやがって」、その2「世の中では棟方志功とボクネンの作品が区別がつかないほどそんなに似ているのか?」というふたつのことが言えるとおもいます。その1については、公立美術館のギャラリーブースとは言え、しっかりした管理と真面目な業者が入っているのではないということで、それはもう公立美術館側の問題ですから、私たちがどうこう言うことではありません。

 大事な問題は、その2「世の中では棟方志功とボクネンの作品が区別がつかないほどそんなに似ているのか?」ということ。さてその『賑踊』ですが、下の方に載せてありますからよく見ながら考えてみましょう。この『賑踊』はバックの赤が基調になっており、前面に三人の聖女が駆け抜けるように踊っているようにみえます。ぼくにすれば、どうしてこの作品が棟方作品と見間違えるのかどうもわかりません。おそらく赤をバックに敷いた焰のような迫力と版画特有の彫刻刀の線の荒々しいたタッチが素人であればあるほど棟方作品との区別がつかなくなるのもかも知れません。しかし、それは美術関係者以外の場合であって、いやしくもギャラリーで作品販売をするひとがすることではありませんね。よほど美術に関する知識がないひとがブースに立っていたと予測するしかありません。

 とすると最後の問題をぼくとしては、こう結論づけたいとおもいます。つまりボクネン作品は、だいぶ表現のタッチは棟方作品と違ってはいるのだけれども、棟方作品と同じなにかがこの『賑踊』のなかに潜んでいると言うことです。それはなにか?ぼくとしては、それは「作品への内なる動機づけ」が同じだとおもうしかありません。「動機づけ」とは、簡単に言えば「止むに止まれずこの作品を彫らずにはいられなかった」ということです。この「動機づけ」は、表面上のカタチは違っていても、表現されるナカミは同じになりうる「なにか」ということです。つまりボクネンは棟方志功に始まり棟方志功の画聖を追い求めているということのために、この「動機づけ」は本質的に同じものになるのだとおもわれます。そしてその『賑踊』作品の「動機づけ」をもっと突き詰めてみますと、限りない人間への愛情なのではないでしょうか。

 それにしても、例によって作品は説明すればするほど遠くに逃げていっちゃいますね。それでも、ぼくはその「動機づけ」こそ作品のすべてであり、芸術の源だとおもっています。

賑踊(白抜)