投稿日時:2014年11月21日(金) 17:17

ばんばんニュース 第17号

版版ニュース2

新しい展示会が今日から始まりました。
〜『心のゆくえ』万象連鎖シリーズⅡ〜
 本日21日より、展示替えです。2013年の「万象連鎖シリーズⅠ」に続くものです。いわゆる作家が「繋ぎ絵」と称している作品群です。今回は、作品No.80からNo.156までの77点の紹介。
 さて、今回は去年と違う点があります。これは美術館スタッフがみんなでかんがえたものですが、おそらくこういった展示法は世界でも初めてではないかとおもっています。つまり、作品に裏から光をあてて、観賞するスタイルになっています。これは今日訪れた客さんもさすがにびっくりなされたようで、こんごいろいろな感想がでてくるはずです。
 さてこの裏手彩色ならぬ、裏手採光の真意はどこにあるのでしょうか。ちょっと話してみます。
 元来、私め館長は絵画に「こころ」とか「精神」とかが宿っているなんてことは信じていません。そもそも絵は「もの」である月桃紙、パステル、額を総合して、なりたっているものとおもわれます。絵に「こころ」とか「精神」が宿っているのはでなく、それは「人間」のなかにこそあるのです。それすると、絵は「そんなものか」と言うかたもいるとおもいますが、またそうでもないのです。
 つまり、絵は「人間」をこころの世界に導いていく「スイッチ」や「のりもの」のようだだとおもわれます。絵は観るものをそれぞれに特別な場所に連れて行ってくれるでしょう。簡単に言えば、星や月をみて亡くなったひとのことをおもいだすことがありますが、絵はその「月」や「星」のようなものでしょう。
 さて、そうすると「スイッチ」は絵のどこにあるのか。いわずもがな、絵をなりたたせている、たくさんの素材にほかなりません。鋭い腺、やんわりとした色、不規則な空間のとりかた、などなどそのようなたくさんの素材こそが「スイッチ」なのではないでしようか。
 もちろん、その「スイッチ」はひとによってすべて違います。ひとつとしておなじ「スイッチ」はないでしょう。100万の人間がいれば1000万だけの「スイッチ」が、ひとつの絵にあるとおもわれます。
 ここで優れた作品とはなにかという答えが導かれていくでしょう。いわば、ひとつの「スイッチ」でたくさんの「観るもののおもい」が多ければ多いほど、優れた作品と言えるのではないでしょうか。
 さて、一等最初の質問に戻りましょう。なぜ「裏手採光」を導入したのかということの答えです。
 言ってしまえば「裏手採光」は、光をあてることによって、光をあててないときの作品に隠れている「スイッチ」が見えてこないかという期待です。「感想」が多ければ多いほど素晴らしい作品になっていくとすれば、私たちは「裏手採光」によってもっともっとボクネン作品の「スイッチ」を探すことができるでしょう。
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