投稿日時:2013年10月31日(木) 11:59

おしゃべりQ館長 File 11

OQ表紙

 2000点近いボクネン作品の代表作はなんでしょうか。誰もそんなことを言いませんから、ぼくがこの機会に言うことにしました。まぁ、代表作と言っても、100人の鑑賞者がいたら100人とも違うかもしれません。それは少し大げさですけど、4割くらいは同じ作品をあげるかもしれませんね。いや7割かな。いや、8割…。まぁ、そんなことをいつまで言ってもきりがありませんから、まずはぼくにとっての代表作、いや好きな作品を言ってみましょうね。

 そのまえに最近、本土の美術系雑誌でいくつかの、その代表作みんいなものを掲載する話があり。紹介してみましょう。まず、『版画藝術』です。そこの出版社は『真南風の向日葵』を候補にあげていました。なるほどですね。そして最近刊行された『MOKU』11月号では、その主筆の方が、『大礁円環』と『節季慈風』をあげていました。またまた、なるほどですね。そして変わったところで、『愛染シリーズ』も押していましたね。変わったところついでに(失礼)、猛烈なボクネンファンである福田博之さんは、『闘鶏』をあげていましたっけ。ふむ…。なるほど、なるほど。
 そしてそろそろ、ぼくがおもう好きな作品ですが、実は最近といっても2年前に彫られた『牛頭』(”ごず”と読みます)という作品です。それまでは『さきよだ』と『ブーゲンビレア』だったのですが、来月の新しいボクネン展『モノクロームの歌』の作品をセレクションしているうちに、この作品をみて衝撃を受けたのです。
 それでは、その傑作の理由を言ってみましょう。少し話はややっこしくなりますが、勘弁ね。
 昭和10年(1935)にドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーというひとが、こんなことを言っています。「芸術作品は、その本質に従って、世界と大地の間、立ち現れと保蔵することの間の闘争である」(『芸術作品の根源』)。
 まぁ、ハイデッガーが言ったことをそのまま鵜呑みにするわけではありませんが、これまで作品(芸術)を評価する一般的な基準を述べたひとにめぐりあったことがないものですから、これを下敷きにしていくらか話してみます。それにしても、ハイデッガーの芸術に対する解釈はかなりしっかりしたもので信憑性があるようにおもいます。
 さて、ぼくが『牛頭』をボクネン作品のトップにあげた理由がもうわかったとおもいます。そう、この『牛頭』には画面一杯に描かれた牛の頭が屍のように遺棄されているようにみえます。この「立ち現れ」は特異なもので誰もが目を奪われるのではないでしょうか。それと、この作品を眺めていると、「この牛は来る日も来る日も畑と牛小屋を通うだけの一生だったんだろうなぁ」なんて、その物語性(保蔵性)が静かにじんわりと浮かび上がってきます。「ときには、泥だらけの体を主人に川原で拭いてももらったんだろうな」とおもったり、また「最後には疲れに疲れて年老いて死んでしまったんだろうな」なんていうまさに物語性(保蔵性)を誰でもが感じるとおもいます。
 このことは、ハイデッガーを持ち出してこなくても、理解できるとおもいます。それにしても、じっとみつめていられる作品というのは、そんなにないのではないでしょうか。
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              『牛頭』2011年 48×47(cm)