投稿日時:2012年05月20日(日) 15:47

ボクネン美術館便り~自然に養われた感覚?~

 先日、美術館の感想ノートに、こんな感想を書いて下さっている方がいました。『絵を見て涙が出たのは初めてです。ありがとうございます。また来ます』と、音楽を聴いたり、映画を見たりして泣くという経験は皆さん少なからずあると思いますが、”絵”を見て涙を流すという経験はなかなか無いのではないでしょうか。なぜボクネンの描く”絵”は人々を感動させるのでしょうか?今回は、私なりに、その秘密に迫ってみたいと思います。

村の入口.jpgのサムネール画像のサムネール画像村の入口-2002-

  ボクネンは版画を彫る時、あえて柔らかい版木を使用します。これは本人曰く「柔らかい木は速く彫れる、速く彫って絵の”感じ”を優先したいから」という事ですが、この『感じ』とは一体何なんでしょう?あえて、この”感じ”を言うなら、『偶有性/contingency』ではないか?と思います。

「偶有性/contingency」とは「どのように変化するか判らないこと、確かなことや不確かなことが交じり合っていること」と言います。偶有性については脳科学者の茂木健一郎さんが有名ですが、茂木さんは、この偶有性を楽しむことができるかどうかが、人生を豊かにするポイントであると言います。まさに子どもは偶有性のカタマリですね。つまり何か不確かな事に飛び込んでいくことで人は脳が活性化され豊かになると。木版画の醍醐味は、自分で描いていても細部まで自分の支配の及ばない、不確定な”線”ではないでしょうか?

 まさに「どのように変化するか判らないこと、確かなことや不確かなことが交じり合っていること」です。システム化された現代の文明に対し、人は知らずに不確かな何かを求めてるのかも知れません。

 また、”色”という点で言うと、ボクネンの絵は良く見ると”おかしなところ”がたくさんあります。海が黒かったり、空と陰の色が同じだったり、畑が黄色かったり青かったりオレンジだったりと、でも、不思議と違和感が無い、これは、『人は右脳でものごとを直感的に捉え、左脳は理論的に物事を考える』という脳の仕組みに由来しているのではないでしょうか。芸術的な絵を見たり音楽を聞いたりしているときには右脳の活動が活発になると言われていますが、この”おかしなところ”も、我々が普段、右脳で感じている部分を、ボクネンが巧みに利用して違和感無く”感じさせている”のでは?と思います。偶有性と、ボクネンの審美眼が作り出すたくさんの”版画”が見る人の心の窓となり、人は涙を流すのではないでしょうか?

ここまで書いて、ふとした疑問が生まれました。はたしてボクネンはこれを計算して描いているのでしょうか?それとも自然に養われた感覚なのでしょうか?みなさんはどう思いますか?

 

彫り.jpg

 
美術館スタッフ ヨウヘイより