投稿日時:2012年02月22日(水) 13:16

万想連鎖21

風の島からファサード2


ボクネン版画に思いを寄せる全国の通信員たちの「声」を届けます。トップバッターは、福岡県の那和慎二さん。その20年来のファンぶりは、作家や作品の機微にふれ、思わぬ情報がいっぱいです。それでは、那和さんの『万想連鎖』シリーズをごゆっくりどうぞ。

万想連鎖21 絵の中の鏡

那和慎二(福岡通信員)

BR19

萌 -2000-

 絵を見ているようで、絵に映る自分を見ているのかもしれない。なぜボクネンの絵に惹かれるのか。それは、そこに今まで知らなかった自分が映っているからなのかもしれない。ボクネンと言わず、絵とはそういうものなのだろうか。絵と言わず、彫刻であれ、音楽であれ、自然であれ、その対象を見つめることを通して、自分自身を見つめているのだろう。巧く言葉にはできなくても、何か感じるものがある。対象によって自分の中から引き出される感情があり、その感情を通して自分自身を見つめ直したり、新しい自分を再発見する。

  なんだ、今頃気付いたのかと言われてしまうかもしれない。でも、私は、なぜボクネンの絵に惹かれるのかを考えることを通して、そのことに今さら気付いている。ボクネンが描いた数千枚の絵の一部しか見ていないわけだが、それでも数百枚かの絵を見て、そこから湧きおこる感情に、それまで自覚したことがなかった得体の知れない自分を感じたりする。森羅万象の中の自分の余りの小ささや、その小さな身体の中にある到底知り尽すことができない広大無辺な世界を、ボクネンの絵は、感じさせてくれる。それで自分が何者かがわかるわけもなく、益々わらからなくなってしまうのだが。

  誰も皆、自分というものがわからず往生している。古来、多くの賢人、哲人が考えを巡らせてきても、そこからどれだけのものを学ぼうとも、答えのない問いには、自分で答案を書くしかないのである。ボクネンの絵にも、その答えがあるわけではないが、ボクネンが切り取る万象の連鎖の中に自分を放り込んでみるとき、今まで感じられなかった自分を感じたり、自分とは何者かという問いへの答えに少し近づいたように感じさせる何かがある。

  一昨年まで、ほぼ毎日、酒を飲んでいた。その多くは島酒であった。酒を飲むこともまた、そこに立ち現れる自分を見つめることである。ただ、毎日飲んでいると、その効果は低減し、鏡が見えるまでさらに多くの酒を要することになった。百歳まで生きるという目標に向けて健康のこともあり、酒量を三分の一に減らした。今はアルコールの効果はテキメンで、飲めばすぐ、隠れていた自分が立ち現れるようになった。酒に映る自分を酔い過ぎない眼で観察することが楽しい。酒を減らした分、珈琲をよく飲むようになった。やや深煎りの豆を挽き、壺屋焼きのカップに落とした一杯をゆっくりと口に含むときも、また、違う鏡に映る自分を見つめる大切な時間になっている。

 まだ、見ていない数千枚のボクネンの絵の中にある鏡を通して、どんな自分が見えてくるのだろうか。いつ、どこで、どんな状況のもとで絵と出会うかによって、また映り方も違ってくるのだろう。興味は尽きない。