タッチ(文体)はすべてを語る。

小学校のともだちに、ふたり絵のものすごく上手やつがいた。コンクールーのたびに、ふたりはいつも優秀賞だった。あのころをおもいだしてみると、二人は小学生にもかかわらず、ゴッホやルノアールばりのタッチなのであった。

その後、画家の道を進まず、ふたりはボクシングのトレーナーや会社員になった。つまり、あのふたりは「みようみまね」にも、かかわらずかなりのところまで、西洋絵画の域に達していたのだ。いわゆる、絵は“タッチ”に、その心情や表現をあますところなく、凝縮させていたようにおもえる。

かつて三島由紀夫は「僕は油絵的に文章をみんな塗っちゃうんです。僕にはそういう欠点がある。日本的な余白のある絵は嫌い」「文体でしか思想が主張できない」とまで言っている。つまり、タッチ(文体)こそ表現のありようが潜んでいるのだろう。(『浜の花4-花波』<名嘉睦稔、1993>)