投稿日時:2015年01月14日(水) 14:45
おしゃべりQ館長 File 17
いま、アカラギャラリーでボクネンが描く「富士展」が開催されています。展示数は10点程度ですが、個性的な富士を観ることができます。 今日はボクネンの「富士」について話してみましょう。
ボクネンの描く一連の富士シリーズは、大体にしてその構図的な面ではほとんどおなじです。正方形の画面に大きく三角に描くものです。さて、これらの作品を観て私はおもい浮かぶ絵(版画)があります。それは棟方志功が彫った『原裾一文字の柵』(1964年)と『王将のようにの柵』(1965年)です。棟方の作品は構図はボクネンとほぼ同じですが、富士(ではないかも知れませんが、富士をおもわせる形です)を黒く一色に描き、周囲は真白という単純明快なものです。しかしながら棟方の作品はその単純明快さから大胆な富士を描くことに成功しています。
富士は日本の象徴と言われますが、東北に生まれた棟方の富士は、決して情緒豊かな富士ではありません。いわゆるボタ山を連想させる質素な作品です。まさに生活感あふれる東北の富士を彫るところに棟方の真骨頂たるものがあります。そこで南国に生まれたボクネンは、どんな富士を描いているのでしょう。もちろん、棟方の描く単純明快な生活匂のする富士ではありません。言ってしまえば、ボクネンの富士は情緒的でもなく、はたまたボタ山を連想させるものでもありません。ボクネンの富士はどれをとっても、「ドラマ化」されているのです。
ここで富士のイメージは日本において大まかに三つのパターンがあるようにおもえます。ひとつは江戸情緒ゆたかな日本を象徴する富士、そして青森などの東北に代表される暗い粘り強いイメージの富士、さらにもうひとつは、日本南方の「ドラマ化」される富士です。
ボクネンの富士には星が落ちてきたり、満開の桜が前面に出てきたり、カラフルな溶岩のようなトゲ片が描かれたりしています。さてここでボクネンの「富士」には何が投影されているのでしょう。それは、「ドラマ化」せざるを得ない彼の資質なり、創作の原点であるかのようにおもえます。
ボクネンの富士は、ボタ山でも江戸情緒でもなく、徹頭徹尾の「ドラマ化」なのです。