投稿日時:2012年02月01日(水) 16:42
万想連鎖 20
万想連鎖20 緑門に誘われて
那和慎二(福岡通信員)
この夏、実際にボクネンに会えるかはともかく、追っかけを自任するからには、ボクネン展vol.3『ここまでおいで』~「緑門」が誘う世界~を見ておきたかった。今、自分が20年以上ボクネンファンであり続けるのも、あのとき、あの「緑門」をくぐったからだという思いがある。
自分が持っている「緑門」とは別のナンバーの「緑門」には、どんな着色がされているのか。「南の緑門」や「緑の口」、「この場所」、「島が見える緑門」、「未来からの風」、「海のふたがあいたまま」等を並べたら、どのように見えるのか。大作「節気慈風」とは4回目のご対面となるが、新たに何がみえるのか。勝手な期待も膨らませながら、くぐった2階の美術館のドアの向こう側には、意外な世界が待ち受けていた。美術館内部は、屋上に上がる螺旋階段口の先に壁とくぐり戸が設えてあり、その先に広がる世界にさらなる期待を高めることを意図しているように思われた。確かに、「節気慈風」の前に置かれたベンチにもたれて、視界いっぱいに広がる光景を独占して堪能したとき、ボクネンの眼に映った世界に自分を同化させるには、壁に隔てられた世界にくぐり戸を抜けることが大切な要素であったと思う。
しかし、今回、もっとも印象に残る1枚は、そこにはなく、くぐり戸の外、作られた壁の隅に、ひっそりと、見られることを避けているかのように掛けられた1枚、「洞窟(ガマ)から」であった。この作品は、どこかで見たような気もするが、多分、現物にお目にかかるのは初めてである。帰ってから画集をひっくり返して見たら、2000年に出版された「新撰名嘉睦稔木版画集」の中に見つけることができた。空の色もなく、モノクロ作品以上に色や明るさを感じないこの作品が選ばれて画集に載る不思議さを思っただけで、素通りしていた作品である。そもそもが暗い世界であるガマ、そこに暗い歴史をも塗り込めた沖縄のガマから見える決して明るくない外界。それは、他の緑門作品群以上に、明と暗、陰と陽、正と負を隔てる境界線を意識させるとともに、まったく逆のようでありながら、すぐそこに隣り合うそれぞれの世界の存在を意識させた。見たいも見たくないもなく、見えないものを切り取って見せるボクネンの意図しない意図が、そこにあるように感じられもする。
いつも持ち歩いているミニアルバムをボクネンに披露した。私の大切なボクネン営業ツールであるが、ボクネンに見せたかったのは、最後に差し込んだ1枚の写真、題して「私の緑門」である。熊本市内で地下水が湧き出す江津湖。その美しい水辺に芭蕉の群落がある。若夏のあふれる光を浴びてあたり一面が緑色に染まった小道。自慢の1枚ではある。しかし、機会があれば、もう1枚。鉛色の空の下で冬の寒さに枯れる芭蕉群を写してみようと思う。