緑門。

 ボクネンが好んで描く作品に〝緑門シリーズ〟があります。昭和20年代までに生まれたひとたちは、この沖縄の古き時代の光景をよく覚えていると思います。「ああ、こんなトンネル、通ったことがあるよ」なんて口々に言うことでしょう。

 ぼくも何度かこの〝緑門〟をくぐりました。ただ、ぼくのは海の緑門ではなく、畑入り口にある山に向かった福木の緑門です。おばぁちゃんがその〝緑門〟に座り、涼風を利用して〝もみ殻〟を吹き飛ばす農作業をやっていました。その傍で涼風に吹かれながら、おばぁちゃんと一緒に気持ちいい午後を過ごしたことを覚えています。

 さて、いろんな人が経験したであろう〝緑門〟。ボクネンはこの〝緑門〟に対して、どう言うおもいがあったのでしょうか。ちなみに9年前のテレビインタビューでは、〝緑門〟は命のある場所に出て行くイメージだと話しています。これはいかにも作家らしい感性に富んだものですね。

 ところで最近読んだ新聞ですが、イギリスの作家で評論家のダミアン・フラナガンが〝門〟は日本らしさの神髄であり、日本人の心理の奥深くに潜んでいるように思うと、書いていました。〝門〟こそは日本文化の核心に繋がる何か大事なものの表れだと言うのです。

 ここでボクネンの『緑門』を考えてみます。日本文化の神髄である〝門〟がボクネンの場合、〝緑門〟に変わるわけですが、明らかに〝緑門〟は自然こそが作った〝門〟と言えます。つまり日本文化の〝門〟はダミアン・フラナガンのいう人の手で作られた人工的なものということになります。〝緑門〟は〝門〟の大先輩・先祖ということになりますね。

 〝緑門〟は、手つかずで自然に現れたうえ、神さまがこしらえた「門」なのですね。(作品『緑の口』1994年 48.5×61.6cm)