東大阪展覧会の対談に行ってきました。

東大阪対談風景

万想連鎖36 「山の日」 那和 慎二(大阪通信員)

山の日だからと言って山に登っていたら、ぶっ倒れていただろう残酷暑厳しい大阪の午後。会場の東大阪市民美術センターは、静かな熱気に溢れていた。

3年ぶりのボクネン作品群との対面に勇んで出掛けた「ボクネンの世界展」初日の7月31日は拍子抜けするほど会場は空いていて、「節季慈風」「大礁円環」ほか大小の作品から放たれるエネルギーにチン!と鳴って湯気が上がってもおかしくない体温の上昇を錯覚するほどに全身でボクネン作品を堪能できたのだが、作家来場のこの日は、1階も2階も人で溢れ、それはそれで、ボクネン作品を味わうにふさわしい雰囲気であるように思えた。

対談の会場は、ガラス張りの向こうに生駒連山が遠望できるすばらしい空間で、開場と同時に雪崩れ込んだのであろう熱きボクネンファンで前列はがっちりと固められていた。およそ8割は女性の会場に、前触れもなく現れたボクネンさんは、また一回り大きくなったように思わせる存在感があったのはシャツのせいばかりではないだろう。

館長の司会と対談相手の石上敏氏が、限られた時間の中で、ボクネンの言葉、ボクネンの思想、ボクネンの魅力を最大限に引き出して下さった。簡潔に言えば、人間ボクネンの理解を深めることができた。もう少し正直に言えば、人間ボクネンを理解する難しさが分かった。

まさに対談の中で語られたように、「分かれば分かるほど分からないことが分かる」、この日の対談内容がそのまま人間ボクネンの理解にも当てはまった。対談の冒頭、山の話になったが、普段、対比的に考えている山と海を、対比して捉えようとするおかしさが、海の中から山を見るボクネンの視点によって明らかになった。山には登らなかったが、山への理解を深める記念すべき記念日となった。

「展示された作品の中で見るべき作品は?」という石上氏の”仕組まれた愚問”によって、ボクネンのボルテージは上がったかに見えたが、そのようなありきたりの軸の上でボクネンを捉えようとすると、ボクネンは逃げて行く。いつ見ても情熱をたぎらせているようにみえるが、同時に限りない落ち着きの中にいて動かない様子が感じられるが、さらに同時に、その捉え方のどちらも、どこか間違っているように思われる。

人間離れした作品群を産み続けるボクネンの人間離れした何かは、人間を理解するときに使う評価軸の上に置こうとしても、そこに乗せることを許さない異次元性にあるのかもしれない。子どもが描く絵を評価する愚かしさのように、この日、少し分かったつもりになったボクネンは、どんな評価軸にも乗らない分かり難さが分かっただけなのであった。あぁ、それなのに、ボクネンが、人に評価されたい気持ちが絵を描く動機になっていると極めて人間臭い感情を吐露してくれるとは。

山は動いているとボクネンは言ったが、ボクネンという山は激しく動き続けて、噴出するマグマを止めることなく形を変えて、捕まえることができない。そんな陳腐な形容でボクネン観をまとめようとすれば、ボクネンはまた逃げて行く。

想っても想っても想い足らじ。