投稿日時:2015年09月07日(月) 16:31

おしゃべりQ館長 その28

OQ表紙

 15年前である。ニューヨークの美術館を、ほぼひとりでブラブラしたことがある。ニューヨーク近代美術館、メトロポリタン美術館、グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館などだが、ほかにも小さな美術館がたくさんあり、街がまさにアートに溢れていた感があった。その間、お気に入りの画家の作品を立ち所に観ることができて夢のように過ぎた10日間であった。

 さて、そんな美術館が点在する街で時間を過ごしてみて感じたことは、ワクワク感といおうか、ドキドキ感といおうか、とにもかくにも好奇心をくすぐるニューヨークの街であったことである。ひとが想像力や感性を十二分にじぶんのなかで満喫するということだろうか。世界の名画をひとつひとつ目の前にすることで、じぶんを高めていけるというのは、少々大げさに聞こえるかも知れないが、とにもかくにもじぶんを楽しむといったひと言に尽きたようだ。やはりアートは「観るものと会話」をしてくれるものであり、「観るもののじぶんの世界」をひろげてくれるものであった。僕の趣味で言えば、名画群のなかでもマチスの『ダンス』といった作品はいまでも熱く目のなかに埋め込まれている。また、ルノワールの『イレーヌ・カーン・ダヴェール嬢』だったろうか、そのマチエールのリアリティさには驚嘆するばかりであった。そんなふうに挙げれば挙げるほどに次から次へと名作が憶い出される。アメリカという国は、そんなふうにいろんなひとに「感性の贈物」をするという大事業を成し遂げているんだなとおもうと、ニューヨークという街に脱帽せざるを得なかったと、当時はすごくおもったものである。

 しかし、そんな街の魅力も15年経つとなると少々、違う気持ちになっていることも正直なところである。現在のアメリカは政治にしても、経済にしても、文化にしても、すべて“自国一番主義”というか、そんなふうに目に映らないこともないのである。それはアメリカの軍事力を楯にした経済の世界制覇ということとも関係しないはずはないだろう。いわゆる世界のリーダーを自認したアメリカが存在し続けていることも同じことだ。ちなみに、この“自国一番主義”はなにもアメリカばかりではない。ロシアも中国も、世界の大国はどこも似たり寄ったりだ。

 ところで世界の大国が“自国一番主義”に走っているなか、シリア内線に尾を引く不幸なできごとがあった。先日のニュースによるトルコの海岸でボートが転覆し、水死した難民の男児の写真は、世界の争いのなかで子どもや女性、老人たちが犠牲にならざるを得ないところにまで世界はまさにいま行き着いているのである。15年前に僕が旅して感動したニューヨークの「感性あふれるアートの街」を喜び続けているばかりもいられないのである。

 「美術」とは、なにか。美術は「人間」になにをプレゼントできるのだろうか。どうも今日は、“おしゃべり”が過ぎたようである。勘弁してほしい。