投稿日時:2013年11月12日(火) 10:34

おしゃべりQ館長 File 12

OQ表紙

 現在、開催しています展示会「紅逢黒逢〜出かけよう絵本の宇宙〜」が、今月の17日(日)までとなっています。そんなんで、次の展示会「モノクロームの歌」(22日<金>から)の準備でいまスタッフみんなでにわかに準備を始めています。ぼくの方も過去29年間のボクネンのモノクロ作品をチェックしています。その関連で『牛頭』(2011年)のことを前回の「おしゃべりQ館長」でお話ししましたが、今回はもうひとつ新作のモノクロ作品を紹介しましょう。だいたいが、新しい展示会には、展示会のテーマにあった新作を何点かボクネンは彫ります。そこで、今日は特別にほっかほっかの彫りおろし作品を紹介しましょう。例によってQ館長の勝手な作品批評には我慢いただいて、軽く読み流してくださるようお願いもうしあげます。
 さて2013年10月28日に彫られたその作品は『アイタイ』(186.0×184.0cm)というタイトルです。アイタイは「会いたい」ではなく、「相対」です。いわゆる「対立する2項」ということですね。ぼくはこの作品をみて、まず3.11以降の世界を頭に描いてしまいました。つまり、2つの相対項を言えば、ひとつは「文明の発達という時代の流れ」。そして、もうひとつは「私たちの時代におけるこころの流れです」。文明はどんどん発達していくのに、それにともなって私たちのこころも豊かになっていくはずなのに、そんな気配は一向にありません。この息苦しい矛盾は、いま台風被害でたいへんなことになっているフィリピンの災害に限らず、日本の3.11はもとより、世界じゅうで自然災害の波におおわれていることと繋がっているようにおもえてなりません。文明は驚くべき速さで進化しているのに、世界のひとびとはいっこうに自然や文明に対して「豊かなこころ」を得ることができないでいます。もはや「文明」と「こころ」は、逆方向に向かっているような気がしてなりません。
 ここで新作『アイタイ』の話をしましょう。真ん中から切断されている(最下段の作品参照)のは「文明」と「こころ」の相対を象徴しています。そして人間のからだが真っ黒になったり、大胆な模様(この模様は自然を異化しているようです)が異様に象られています。この模様の「象り」の意味は、「自然」が人間(文明)によって異形化され、自然も人間も一緒に「疎外」されていることを象徴しているようにおもえます。
 つまりこの絵は、3.11以降の私たちの外なる歴史への「問いかけ」として立ち表れています。
 ……ああっ、おしゃべりが過ぎたかもしれません。きっと、そうです。
 最後に、ぼくの好きなマルセル・デュシャンの言葉でしめくくりたいとおもいます。
 
 「作品を説明したり称賛したりするのに役立つようないかなる言葉といえども、感覚を越えて生気するものの誤った翻訳なのだ」
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                    『アイタイ』(2013.10.28)